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気まぐれに書評とか。

夢なんかもつな。目標をもて。

 日曜日に議員のお話を聞いたので、その感想。

 小学生のころに「政治家になる」と卒業文集に書き、産経新聞にいったのちに県議会議員を経て、国会議員になった議員の話。かなり波瀾万丈な人生を送っていて、たとえば北朝鮮に行ってきてそこで北朝鮮の国の幹部に喧嘩を売るという武勇伝もお話されていました。

 修羅場をくぐる

 市長選挙にでた際に落選をしたことで、「地獄を見た」とおっしゃっていました。議員というのは基本的に自営業者とほとんど変わりませんから、いわば会社が破綻したようなものです。そこで修羅場をくぐったことがひとつ、大きな体験となったそうです。

 たしかに、修羅場をくぐるという経験は大切だと思います。僕も何度か修羅場をくぐりました。3日で睡眠時間を2時間しかとれないとか…いや、もっとこれからそんなもんじゃない修羅場がきそうです。

 苦労をして何かを学んできた人ってすぐにわかるんですよね。話に重みがあるというか。逆に、「あ、この人失敗体験ないな」というのもすぐにわかる。言葉にするのは難しいですが、直観というやつです。

夢なんかもつな、目標をもて。

 この講演の中で印象に残った言葉があります。「夢なんかもつな。目標をもて。そのための努力を惜しむな」――これを「オヤジの小言」として聞き流すか、真剣に実践するかで大きくわかれてくると思います。

 「夢」という言葉には本当に中身がありません。スッカラカンです。なぜか。夢は夢だからです。「儚い」という漢字の右が「夢」であることに気づくべきです。夢は夢。それ以上の意味はありません。

 夢なんかもつな目標をもて、というのは要するに、自分の目指すところを具体化すべきである、ということでしょう。これは至極当然の話しで、夢という中身のないものはさっさと捨てて、目標に転換すべきです。

 目標はまだ、達成したかどうかはかれるので、どういう方向を目指すべきかだけはわかります。夢を応援したいなんてバカらしい。目標達成を応援したほうが、よほど実りあるものになる。

 そして重要なのは、「そのための努力を惜しむな」という後半部分でしょう。粛々と泥臭くハードワークしろということです。これをいうと今度は「ブラック企業だ!」とか言い出す人がいます。

 努力をなめている人がなんと多いことかと感じるときがあります。それなりの対価を得るためには努力は欠かせない。ショートカットは人生に存在しません。サボったツケは必ずきます。

 現在でさえ、自分の力を一定に保つか伸ばすための努力は欠かしていません。1週間で3、4冊は本を読みます。なぜか。教養のある圧倒的な知性を持った人間になりたいと思っているからです。目標は、大学卒業までに500冊。これはしかし、アメリカの大学生の平均読書量でしかありません。平均ですから、それ以上の努力が求められることはいうまでもないでしょう。

 Webに関する知識は、毎日時間をとってインプットしています。最近だとSEOに関してかなり勉強しました。そうしないと、周りの普通に仕事をしている大人たちに勝てないからです。付加価値を提供できるWebサイトを作る、ということが目標なのですが、そのためにはそれ相応の努力は必須と考えています。

 たしかに僕の場合、中学高校と変わった生活をしてきたのでWebに関する知識は経験上人よりかなり多いです。しかし、今やっている仕事のほとんどは、中高のころに身につけた知識では追いつけなくなっています。だから、努力が求められるのです。

努力の仕方を身につける

 ここからは自分の意見になりますが、まずは努力をできる人間になるべきだと思います。いい結果を出すのは、そのための努力をできるようになってから。間違っても、努力なしでいいアウトプット、圧倒的なアウトプットは出せません。

 大学のうちに身につけるべきことを聞かれた時、僕は「独学する力」だと答えます。言い換えればそれは、努力する力だとも言えます。

 ただ努力は、何も考えずするだけではダメです。それがいい結果に結びつくべきです。いい結果に結びつけるための努力の仕方を学ぶ必要がある。浪人時代の僕はそれができなかった。だから反省して、大学ではきちんと結果を出すことを重視しています。

 努力が目的になってしまった人は組織の重荷になるという記事があったのですが、それはたしかに一理あります。こういうタイプも組織の生産性を下げることになります。

 しかし、それ以上にまずいのは、努力もせずに大きな結果ばかりを追い求める人が組織にいるときです。この類の人はたいていの場合、言ってもわからないというか、人の話を全然聞かないパターンが多い。

 結局、きちんと積み上げられる&結果のことも忘れない人が一番いい。そうなるためには、目標設定を毎回きちんと行うことが重要ですね。目標なき努力は、「努力のための努力」にしかなりませんから。ただしその目標が「夢」であった場合、それは儚く無残に散ることになります。