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気まぐれに書評とか。

「怒り」や「恐怖」は人の意思決定を大きく左右する――『競争社会の歩き方』

最近技術書ばかり読んでいて、なかなかこのブログを読んでくださっている方々の層にあった本が紹介できそうにないです。しかも、昔読んでいた教養系の本を読もうとすると、技術書との言葉の言い回しの違いなどに戸惑ってなかなか読み進められなくなっているという。

しかし、リハビリのついでに最近何冊か教養系の本を読んでいるので、近々何冊かご紹介できるかと思います。まずは第一弾ということで、非常に興味深い経済学の研究成果が散りばめられた一冊をご紹介したいと思います。

大竹文雄さんの新著です。大学生の頃からファンです。書名は『競争社会の歩き方』ですが、中身は半分行動経済学、半分競争に関する話といった感じです。

「他店対抗値下げします」は「値下げするなよ?」というサイン

家電量販店の広告を見ていると、よく「他店で当店の値段より低く販売されていた場合には、それに応じて値下げします!」という文言を目にします。家電量販店に限らず、SEIYUなどでもそのようなキャッチコピーを目にした記憶があります。

これまではこれらの広告の意図を、単純にお客さんが他店に逃げてしまうのを防ぎたいから、という理由でしかないのだろうなと思っていたのですが、実は経済学的な視点から見るとそうじゃないみたいです。この広告の意図はあくまで、他店に「価格競争をするなよ」ということを伝えているみたいなのです。

考えてみれば単純な話なのですが、あるお店Aが1000円の商品を周辺の他の店よりも100円低い値段で売ったとして、他店が「他店対抗値下げします」と標榜していた場合、周りのお店も900円で売り出し始めます。一方で、元々安く売っていたA店は、他のお店と価格面での差がなくなることによる顧客の流出を恐れ、さらに100円下げようとするでしょう。それに他店も追随して…という構図が生まれます。

上記のシチュエーションは明らかにA店にとっては得とは言えない状況で、それゆえ最初から価格競争のゲームに参加しない方が戦略的にはお得ということになってしまいます。逆に言うと、「他店対抗値下げ」広告は、価格競争を他店にさせないためのサインを送っていると捉えることが可能なのです。

たしかに「他店対抗値下げ」をしているから、他の安いお店のチラシ探して値下げしてもらおうと思って探してみても、案外見つからなかったりしますよね。家電量販店に至ってはどこも同じような値段でしか売っておらず、Amazonくらいしか安い販路を見つけられません。上記のようなカラクリがあったんだな、と思ってちょっと納得してしまいました。

「怒り」や「恐怖」は人のリスク許容率に影響を与える

一方、これは仕事をしているときに感じるのですが、イライラしていたときに自分のした意思決定の不合理さに愕然とすることがたまにあります。私たちは普段、感情と自身の行動とにはあまり関係がないと思いがちですが、スピノザがいうように人間は思った以上に感情に左右されて生きています。

怒りで人はリスクを取る選択を行うようになる一方、協力しなくなります。他方、恐怖やストレスにより人はリスクを取る選択をしなくなるという傾向があるようです。

おもしろかったのが、これを医療現場に応用できるのではないかという話です。たとえば、ガン宣告を受けた患者がいたとして、その人は本来は比較的リスクが高めの治療を受けるべきなのですが、リスクの低い方を選択しかかっていたとします。そこで患者をちょっと怒らせてみてはどうか、という考えが提案されています。

相手の感情を操って相手の意思決定を適切な方向に導くというのは倫理的な議論を呼び起こしそうな匂いがしないこともないですが、行動経済学の知見を活かして、不合理な人々の選択をより合理的なそれにできるのかもしれないですね。逆に言うと、それを利用した詐欺も生まれそうではあるけれど。

その他、格差問題についても

そして今回は詳しくはご紹介できませんでしたが、本書では上記の他に近年話題の格差社会に関する話も掲載されており、それはそれで非常に興味深いです。特に、「お金持ちほど再分配に反対する」という話は、熱心に読まざるを得ませんでした。

私自身も社会人になってから平均よりかなり高めのお給料をいただくようになり、それに伴って毎年の税金の高さに絶望し、ついつい「再分配があるからだよなあ…」という思いに駆られることがあります。しかし、これこそが格差を必要以上に助長する元凶です。

人は自分の所有物を失うときに、必要以上に損した気分になる生き物です(プロスペクト理論)。お金持ちの喪失感をケアしつつ、一方で必要以上に格差を拡大させないために再分配を行う必要があります。そういったバイアスを考慮したうまい経済政策を考えていかないと、よりよい経済体制を築くことはできないと思わされる一冊でした。

行動経済学や心理学のお好き方はぜひ。

大竹文雄さんといえば、『経済学的思考のセンス』という本が有名です。私は大学1年くらいのころにはじめてこの本を読んで、「インセンティブ」という言葉の意味がわからなくて辞書で調べた記憶があります。下記もいい本だと思いますのでぜひ。