【書評】『「自分で考える力」の授業』
日本の教育は「考え抜く方法」を教えてはくれない。だからよく日本人は、自分の意見を持つことが苦手だと言われることがある。日本人の弱点である「きちんと考えて自分の意見を持つ」を克服する方法を教えてくれる一冊。
本書の感想を一言で書く。「とにかくオススメ」。クリティカルシンキングモノは本屋に行けばあまたあるけれど、この本を一冊読めばすべて事足りるだろう。(できれば、『知的複眼思考法』も読んでおくと鬼に金棒かと思われる。)
何よりもわかりやすい。実践しやすい。本書のキーワードは、「考えるときは物事をあいまいにしない」というものである。意見にはきちんと根拠をつけたり、あるいは事実と意見をきちんと峻別したり、理解していない部分がないかをあぶりだしたりする。受験生のころにはきちんと踏んでいたプロセスなのだが、大人になると忘れてしまう。受験生の感覚を今一度思い起こさせてくれた。
自分の意見をつくるために
自分の意見を作るために本書が提案していることはひとつ。「根拠を明確にせよ」。これだけである。しかし、案外日常会話で私たちは「根拠」を明確にせずに話を進めてしまっている節がないだろうか。
大学生では特に顕著なのだが、お互い好きなことを言うだけ言ってそこで終了という話し合いがよくある。何かチラシを作るときでも、「○色をつかいたい」「いいね!」で話が終了してしまう。「なぜ?」がないのである。なぜこれで会話が成り立つのかというと、お互いバックグラウンドが似たようなものであるし、歳も近いからだろう。したがってそれほどお互いに差がない。だから、大学生は適当に会話してもきちんと通じ合える。
しかし、私自身も以前衝撃を受けたのだが、ビジネスの世界に少しでも足を踏み入れるとその様相は一変する。根拠がなければ自分の意見は却下されてしまうのだ。自分の意見の審議を受けるためには、根拠を明確にしなければならない。「なぜ自分はそう思うのか」を、きちんと考えなければならないのだ。
だから、根拠力をつけるエクササイズは絶対に必要なのである。
「理解したつもり」にならない
「理解したつもり」――これもよくある失敗である。私はいまだにやらかす。この前もテストでやらかして冷や汗をかいた覚えがある。「理解したつもり」は、意外に多いミスである。
とくに感じるのは、どこかに誰かと集合するときである。お互いに時間は決めるのだけど、集合場所とかついてからの段取りなどは決めない。日時を決めた時点でなんとかなると思ってしまうのであろう。そして、大体の場合、お互い場所がわからず集合時間が10分ほどのびる。これは時間の無駄だ。
また、書評を書いている今この瞬間も、「理解しているつもり」という悪魔は忍び寄っているかもしれない。私も理解しているつもりで本書を評している可能性がある。常に「物事を疑う癖」を身につけなければならないと思う。
本書の一部を紹介させていただいたが、本書はその後、「一人弁証法」という、自分の意見を深める方法や、「人類学者の目線で広く考える」といった手法も紹介している。そしてそれらがとてもわかりやすい。
就活を控えている学生にも、さらには普通のビジネスパーソンにもおすすめできる一冊だと感じた。
もちろん、本書を読んだならば、実際に手を動かして「考える」ことをしなければ意味がないことは、言うまでもないだろう。