【書評】『経営戦略を問いなおす』
久しぶりに自分が一応もっとも関心を寄せる、経営戦略分野の本を読んだが、なかなか刺激的な一冊だった。最近自分が経営戦略に対して抱いていた疑問を、みごとに答えてくれた一冊だったと思う。
私の抱いていた疑問というのは、『世界の経営学者はいま何を考えているのか』の中でいくつも紹介されていた「定量的な事実」だった。すべての要素を把握可能な変数として把握し、それを一定の統計モデルやロジックのなかにおさめ、そこから経営の普遍的な法則を発見するというアプローチ方法だ。だが、この正当性には疑問を抱いていた。経営というものはそんなに単純なものではないし、数値化して普遍性を担保できるようなものでもないからだ。経営という実体を描くとき、演繹ではうまくいかないことも多い。あくまでも帰納的なアプローチに依らなければならないのではないか。そう思っていた。
本書は、ほとんどが現場から得られたものや現場を見て著者が考えたことをひとしきり書いたものではないかと思う。表紙にも以下のように書かれていることからも、その方針がうかがわれる。
難しい現実を一つ見て、二つ見て、という場を積み重ねて、早くも10年。その節目に、だんだんわかってきたことを記したのがこの本です。既存の戦略論が形から入る一般論だとすれば、これは戦略の現場から発想した実践論のつもりです。
戦略の目的
戦略の目的は、あくまでも「長期的な」利益の最大化にある。そういわれても、大学生の自分にはピンとはこないのだが、最近とくに利益追求の仕事をこなすようになってきたため、すこしずつ重要性がわかってきたかと思う。10年後、組織はどうあるべきだろうか。そこから、5年にはこうすればいい、3年にはこうすればいい、だから今はこうすべきではないだろうか。そういう考えかたをしなければ、戦略としての体をなさない。
ところが、世の中の企業はどうだろうか。私は大学生という身分を利用して、何人もの経営者に会ってきたけれど、実際にそのような戦略のたてかたをできている人もいれば、そうでない人もいたように感じる。ただ、長期的な視野にたった戦略をたてていない経営者であっても成功している人はいるから、完全にそれが正しいともいいきれないところは難しい問題である。しかし往々にして、成功している人間というのはどうやら長期的な視野をもっている傾向にある。
では、なぜ「長期的な利益最大化」を行わなければならないか。私は、事業には継続しなければならない責任があるからだと思う。世の中に製品やサービスを輩出したのだから、それを責任もって見とどけなければならない。いざ、自分がもっている製品がこわれたときに、「会社はもうつぶれました」では話にならないではないか。そういうことである。事業には継続責任がともなうのである。だから、長期的な利益追求をしながら、なかば永続的に事業を継続しなければならない。
したがって、それをふせぐために戦略というものは存在していると私は考えた。
戦略の中心は人、経営の中心は人
案外忘れられがちな視点だと思う。戦略の中心は人である。そしてなにより、会社をつくりあげる中心は人であるし、経営の主体も人なのである。だが、「人材」と評して、この会社の本質を覆い隠している企業は多く存在する。
だから、戦略も経営も主観的なものである。客観性はどうしても担保されにくい。これは仕方のない問題だと思う。ゆえに、ブラック企業問題も難しくなるのだ。ワタミの戦略が決して客観的に間違っているとはいえないということは、その好例ではないだろうか。
主観的であるがゆえに、会社方針をコロコロ変えることは悪いことでもないと思う。戦略とは「機」を見て判断するものであるから、機を読んだうえで戦略策定できているのであれば、それは一定の正しさをもつといえる。
したがって、経営戦略という分野には、普遍性とか客観性といったことばは介在しにくいと考える。たとえばポーターの議論も、場合によってはあてはまるが、あてはまらない場面も多いのである。私も、数々のいわゆる「フレームワーク思考」本を読んできたけれど、意外に適用できない場面が多く、けっきょく一面しかとらえていないのだなと思った経験がある。ゆえに、無機的にフレームワークをつかって対処して終わり、という戦略のたてかたではなく、入念に話し合いをしてさまざまな場面を想定しながらつくりあげる戦略策定をこそ、おこなうべきだろう。
不確実性にいどむ
戦略は不確実な未来のできごとにいどむためにあると本書では喝破される。そのとおりではないか。
では、どのように人は不確実な展開に対応するのかというと、それは「観」「経験」「度胸」なのだそうだ。ここに心理学にあるような定式化された理論は登場しない。そこがおもしろいと思った。
経営者に多いのが、意外に学説というものを嫌うというパターンだ。彼らは私の数十倍多く勉強しきていると思うし、知識量も比較にはならないほどもっているはずである。その中でひとつやふたつ、信じてしまいたくなるような定理や公式が存在していてもおかしくはないはずだ。しかし、彼らはそれを意外に嫌う。あくまで自分の直観や経験がたよりなのだと。私はまだ経験をつんでいないから、そういった直観が存在するとは思っていなかったし、理解できなかった。そのうち理解できる日がくるのだろう。本書でも後押しされていたから、これはほんとうに正しいのだなと思う。
教科書的なポーターのファイブフォース分析や、SWOT分析などは、かならず万能というわけではないのだ。それは私自身も自分の経験から、多くの周りの人に伝えていることではあるけれど、なかなかまだ理解されない。そういった理論を頭の片隅においておくのは問題ないと思うけれど、それらは使いかたを間違えれば一寸先は闇である。全面的にそれらを信頼して戦略を策定する行為は、考えなおしたほうがいい。そもそもこういった分析は、抜け漏れなく考えるためにあると思っている。これらは公式ではないのである。
経営や戦略に、回帰分析でしめされるような公式は存在しない。主体が人間である以上、どうしてもゆらぎが入りこんでくることは避けられないからだ。
学生はなにをすべきか
さすがは神戸大学の教授といったところだが、いちおう想定読者の中に学生が入っていることを見越してか、学生向けのアドバイスが書かれていた。これは私も共感した。
要するに、大学でできる勉強をしっかりやっておくこと。教養を身につけること。これらを語っていた。実務経験は、就職してから現場で使いつつ身につけるほうが上達も早いと。そのとおりだと思う。
もうすこし「機会費用」というものに敏感であってほしいと、私もまわりを見ていて思うことがある。アルバイトに時間を費やし、そのためたお金で旅行をすることは悪くないと思うけれど、とくに目的もなくアルバイトをしている人というのは、大学生にたしかに存在する。使うあてもなくお金を稼ぐ意味はあるのか。消費量がよほど増える予定がないのであれば意味はないのではないか。その時間を、もっと10年先に役立つようなことに使えないのか。こう思うことがある。
実務経験をやたらつみたがる人も見てきた。私も経験があるのだが、人に先んじてカッコいいことをやりたいと思うものだ。目前の就活や就職後にむけて、圧倒的な力をつけておきたいと思うものだ。悪いことではないと思うが、バランスが大切ではないかと思う。それによって留年するのは本末転倒であるし、大学の授業をサボってしまっては、ではいったいなんのために学費を払っているの、という話になってしまう。
私も、すこしだけ実務経験やリーダーシップとやらに手を出してみたことがある。きちんと目標設定をし、予算をおろし、目標達成を追いかけるという実務経験だ。そのためにチームをひっぱるという経験もした。
それをしてみて思ったことなのだが、やはりリーダーシップをとるためにはなによりも人として尊敬されなければならないようだ。実際、以前の私は尊敬に足る人物ではなかった(今もそうだが)ので、人がついてこなかった。
尊敬されるためには、実績を積むことはさることながら、それ以上に人に情熱をもって接することができる気質や、社会や人間についての深い知識をもっている必要があると、私は自分が尊敬する人たちから学んだ。それを考えたとき、大学の授業はやはり捨てがたいものと思った。なにより、徒歩5分圏にそういった教養を身につけることのできる蔵書や知識人が大量にあるこの環境を、今この瞬間生かさないわけにはいかないと考えた。
「学生時代にしかできないこと」はひとそれぞれあるけれど、その本質を見誤らないようにしたいものである。