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気まぐれに書評とか。

ヒトラーが現代に蘇った場合、彼の猛進を防ぐ手段はあるのか?―ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』

『帰ってきたヒトラー』を読みました。ヒトラーを扱うブラックユーモア小説として、ドイツ国内では大ヒットした作品。ドイツに限らず、アメリカや、なんと…イスラエルでも出版されたそうです。映画化もされており、映画も時間を見つけて見てみたいと思います*1

ヒトラーが浦島太郎のように現代に蘇り、ユーチューブなどを通じてモノマネ芸人(コメディアン?)として人々の認知を集め、その後政治家を志していくというストーリー。ヒトラーは当然「インターネット(本人は"インターネッツ"と呼ぶ)」を知らず、YouTubeにもWebサイトにも興味津々で、扱うのに苦労します。そこが笑えるところなのですが、後半になるにつれ、ヒトラーの「人を惹きつける」ところが強調されていきます。そして、そこが怖いところでもあるのですが…

ヒトラーは再び当選してしまうのか?

私はこの作品を読んで、まず気になったのが「ヒトラーは政治家に再び当選してしまうのか?」という点です。そして、現代においてはこれは確実に「YES」だと思います。

ヒトラーが政治番組に出たり、さまざまな人と話をするシーンがあるのですが、ヒトラーにはどうやら人を惹きつける力があったようです。当然といえば当然です。あの時代のドイツであれだけの支持を集めてしまったのですから、人を惹きつける力は半端ではないです。また、人の心を読むのも上手だったことが描写されています。これもまた、政治家には必要な資質でしょう。

当然のことながら、ヒトラーはこのあと人々の支持を集め、当選してしまったと思います。原作には描かれていませんでしたが、「このままいくとうまくいっちゃうよね」ということを作者は暗に示しているなあと感じました。

一方で、では「ヒトラーを再び当選させないためにはどうしたらよいのだろうか?」という問いに対して、現代においては打つ手だてがないかもしれないと考えました。結局こういう人たちは、言論の自由に守られて何を言うのも自由です。そして、賛否両論を巻き起こし、最終的には賛同者を集めて当選してしまうことでしょう。そして、それは簡単です。政治は過半数の支持を得られればよいからです。51:49でも、50.5:49.5でも、過半数であればそれは成功なのです。

極論を言うと、この作品のように独裁者が復活した場合、現代において打つ手だては、彼らの言論の自由を無視し、独裁者を逮捕して自由を拘束することしかないのではないでしょうか。危険思想のように思われるかもしれませんが、現実的な手だてはそれしかないように思います。

そしてそれこそが現代の民主主義の矛盾であり、個人の自由と社会全体の利益を天秤ではからなければならない政治制度の限界を示しています。個人の自由を最大限保障すると、ときにヒトラーのように社会全体にとって不利益をもたらす存在を止められないかもしれないです。個人の自由と社会全体の幸福のどちらを選択すべきか、という問題は、マイケル・サンデル教授も熱心に著作で論じている政治哲学でも重要なテーマです。もっとも、社会全体の利益が何(だった)かなんて、未来から過去を振り返ることでしかわからないとは思うのですが。

何より、現にこの作品で起きていたような「賛否両論を巻き起こすヤバメの人」が当選してしまった例はすでにありますよね。トランプの当選です。最近は賛否両論を巻き起こせるような人が当選する傾向にあるように思います。そこまで予測して作者が書いていたかはわかりませんが、この本が描くような世界に今なりつつあるのは間違いないのではないでしょうか。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

「過去との新しい対話」が求められている

本書の最後にニューヨーク・タイムズによる、著者インタビューを含む書評が載っていて、そこに気になる記載があったので紹介しておきます。作者自身の意図としては、「過去との新しい対話」を目指したとのことです。

ドイツ国内では、ヒトラーの過去をどうしても二度と振り返りたくない記憶として取り扱うことが多いようです。しかし、そうやってヒトラーの政治から目をそらしていては、たとえばヒトラーの人を惹きつける力があった、というような重大な事実を見逃してしまいがちになります。だから、「ユーモア」「風刺」を用いて先入観なしにヒトラーを記述することで、読者の目ををヒトラーその人に向かせよう、という意図があったように見受けられます。そして、それこそが過去との新しい対話という言葉に現れています。

翻って日本はどうでしょうか。日本もドイツと同じように、戦争の記憶が刻み込まれた国のひとつです。日本の場合は、過去の戦争を「感動モノ」として描くことが多いように思います。たとえば『火垂るの墓』『永遠の0』などはその代表例でしょう。しかしこの態度は、戦争の現実と向き合っていると言えるでしょうか。私は疑問に思います。現実から目をそむけているだけではないかと。

本書の「ヒトラー自身の人となりを描く」という「過去との新しい対話」は成功しているように思います。結局ドイツの場合は、ヒトラーその人自身が圧倒的に大きな発生源だったからです。だから、ヒトラーその人に着目した作品がこうして出てきたことで、人々はヒトラーという人間と向き合うことになり、結果としてそういう人を警戒するようになるかもしれないです。

日本にも、そうした「感動モノ」をやらない、過去との新しい対話を目指す戦時小説が出てくるといいなと思いました。正直ちょっと、戦争モノが感動ばかりを扱うのに疲れてしまったんですよね。戦時中のリアルな人間関係とか、結局何人亡くなったとか、そういうのを総合的に描いてくれている作品があったらぜひ見てみたい(漠然)。今のところ、半藤一利『昭和史』を上回る、戦争についてまともに書いた本を読んだことがない気がします。まして、小説に至っては…

ただ一方で、「風刺」を使うことの是非は問うべきかとも思いました。風刺だからタブーに踏み込みやすい、というのはあるかもしれませんが、風刺は本当にタブーと向き合う手段として妥当なのか?風刺だからなんでもいいのか?については疑問です。この点については今後考えてみよう。

本書を読んでいてよくわからなかったこと

  • 最後の方で、ヒトラーがネオナチの人間にリンチされるシーンがあるのですが、なぜネオナチの人たちはヒトラーをリンチしたのでしょうか?本来は仲間のはずでは…?

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

*1:今はじめて予告編を見たのですが、原作で示唆されていなかったストーリーまで描かれているようですね。これは見てみたい!