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気まぐれに書評とか。

フランス革命を学ぶ

 「フランス革命」から、世界は様変わりしたといいます。どういう意味かというと、それは2点あって、まずひとつは「国は王家のもの」という考え方から、「国は国民のもの」という原則に切り替わったこと。そしてもうひとつは、それ以前の時代においては「生まれ」や「身分」による差別は当然と考えられてきたが、その価値観が、フランス革命によって転覆されてしまったこと。要するに、国民主権でなおかつ平等な基本的人権の尊重された社会は、フランス革命からスタートした、ということです。

 最近、歴史を少し学んでみようと思って、何冊か歴史の本を手にとって読んでみています。これは読む分には非常におもしろく、ドンドン自分の中に知識が入ってくるように感じます。歴史は勝者によってしか書かれませんから、必然的に成功事例の集合体になります。すなわち、歴史を学ぶことは成功事例を学ぶことなのです。

問いを立てながら歴史を読む

 しかし、最近では、歴史はただ読むだけでは8割損をしていると考えるようになりました。以前まではただなんとなく読んでいて、物知りにはなっていったのですが、何か物足りない感じがありました。そこで最近では、自分の疑問に思った点について、適当でもいいから問いを立てるということをしています。

 ところで、問いを立てるとは一体どういうことか。これは、別の似た言葉と対比することでわかりやすくなります。「疑問」と「問い」とは何が違うのでしょうか。

 「疑問」という言葉は、ただ「思う」だけであって、それ以上突き詰めない状態のことをいいます。要するに、考えて、それ以上のことはしないわけです。したがって、疑問は「感じる」といいますね。

 一方で「問い」という言葉は、思うことはもちろんですが、立てた疑問に対して、自らアクションを起こして答えを出しにかかる作業のことをいいます。疑問では「感じる」だけですが、問いは「立て」、それに対して答えを出すところまでするのですね。

 歴史に対して問いを立てることは、それほど難しいことではないと思います。たとえば、「フランス革命はなぜ起きたのか?」とかんがえることも、ひとつの問いですね。桶狭間の戦いの後の社会的な影響はどうだったのでしょうか?あるいは、戦国時代での民衆の暮らしは、安定したものだったのでしょうか?戦時期の一般大衆の暮らしについてはとても気になるところですね。

 このように、問いはいくらでも立てられるわけです。そして、もしその視点を元に、歴史資料から自分で再構成を行ったとしたら、その視点の歴史ができあがると思います。これは、歴史の良い点ではないでしょうか。哲学や数学などでは「主観」によって理論が成り立つなど、まずありえない話ですからね。

結局フランス革命とはなんであったか

 結局フランス革命とはなんであったか。僕の解釈で、一言で表すとしたら、「一般大衆の熱狂が引き起こした誤解による悲劇」となります。つまり、お互いの疑心暗鬼が生んだ悲劇だったということです。

 国民と王室の間にきちんとした意思疎通のパイプがなかったから、お互いに胸中を推察でしか推し量ることができず、結果として誤解が誤解を呼び、その誤解によって最後まで行き着いてしまった革命だった、という評価をしています。これは、あとで「ルイ16世マリー・アントワネットの呑気さ」という問題に直結してきます。

 フランス革命は、「ベルサイユのばら」などで妙に美談化されているような気がしますが、冷静に考えて、同じ時代に居合わせたとしたら絶対に遭遇したくはない出来事ですね。

 なぜなら、国王が処刑されてから王妃が処刑され、さらにロベスピエールが実権を握るなどして、毎日のように人が殺されるからです。そして、その殺された数も半端ではない。

 また、公正な裁判がまったく成立しておらず、裁かれたらすぐに死刑という状況もまた、恐怖を覚えますね。家から一歩たりとも出ないことが安全な時代なんて、僕は御免だからです。

 更にいうと、フランス革命はほかのヨーロッパ諸国から見れば大迷惑な事件なわけです。こう言えるのは、バークの『フランス革命に関する省察』という本を読んだからですが、バークを始めとするイギリスの議会の一部は、真剣にフランス革命に対する対処について考えている。

 なぜなら、バークらは、フランス革命に触発されたイギリスの市民が、イギリス国内で革命を起こしかねないと考えたからなのです。こういう点で、フランス革命は、ほかのヨーロッパ諸国の上流階級から見れば迷惑以外の何者でもなかった。

 もっとも、現代の日本において、そのような影響を心配する必要はあまりないかもしれません。中国がたとえ革命を起こしたとしても、それは共産党に対する革命であって、民主化への革命です。一方で、すでに日本はもう民主化を果たしている。隣国に触発されて日本国内でも革命が起こる可能性はそれほど高くはないかと。

 ただ、財政破綻をした場合どうなるかはわかりません。あるいは、アベノミクスが失敗した場合もまた、どうなるかはわかりません。

 フランス革命は、財政破綻にたんを発した革命でしたから、時代状況としては非常に日本と近いわけですね。またさらに、陥っている状況も非常に現代日本と似通っている。フランス革命は、「国は国王のもの」という思想から、「国は国民のもの」という思想への転換期だった。なぜ転換したかというと、ルイ王政の敷いていた政治体制が、もはや時代の潮流にあっていなかったから。

 そして、これは日本にも似通っていますね。現代の日本は資本主義というシステムを導入しているわけですが、資本主義の本質は「労働者の再生産」にあるわけです。ところが、少子化という現象によって日本では「労働者の再生産」が難しい状況になっています。したがって、現行の資本主義のシステムは現代日本には少し時代遅れになりつつあると思います。となると、ここまでの事実を考えると、フランス革命前夜に非常に近い状況ではないでしょうか。歴史は未来の人が決めますから、もし日本に革命が起きたとしたら、未来の人はこういう分析をするのではないかと思います。

 と、ここまで見てきたところで、フランス革命というイベントは、そんなに「昔の遺物」などではなくて、「現代でも十分起こりうるのでは?」という実感を持って考えられたと思います。

 では、フランス革命への問いについて、僕の考えたことを少しメモさせていただきたいと思います。

フランス革命への一つの問い

 ここまで社会分析のようなことを書いてきましたが、僕のフランス革命への興味は、実は人にあります。それは、ルイ16世マリー・アントワネットに対してです。

 今回読んだ本『物語 フランス革命』では、ルイ16世とマリーアントワネットについてよく取り上げられており、彼らの為人をそれなりに知ることが出来ました。ルイ16世はとても冷静によく考えて行動するタイプの国王で、マリー・アントワネットは想像通りの豪快さを持ちつつも、人生の後半においては、その豪快さに加えて冷静な状況判断力も身についてきたように思います。

 これほどの資質をもった人たちであれば、革命期もそれなりに安全に切り抜けられたはずです。しかし、実際にはふたりとも処刑されてしまった。

 これはなぜかというに、ルイ16世マリー・アントワネットが国民や社会の潮流に対してあまりに鈍感だったからです。これは、本書の中で何度も出てきた二人の欠点でした。どうもプライドが高く、状況をゼロベースで考えようとしない。

 で、なぜ「彼らは危機感を抱けなかったのか」というのが、僕の根本的な疑問なんですね。だって、普通に考えて、外をちょっと見れば「あ、これはヤバイな」と気づくはずなんですよね。少なくとも、今の日本の天皇陛下であれば、もし革命が起きて国民が反逆しようとしたら、お気づきになるはずなんですよ。

 ところが、本の中では、革命の最後の方になって、自分たちの命が危ない段階になってもまだ、呑気なことをやってる国王と王妃の姿が描かれています。「早く逃げろよ!」と、一般人の僕などは思ってしまうわけですが、そうは行きませんでした。

 僕が思うに、マリー・アントワネットの頑固さはよくわかるんです。彼女はオーストリア、それもハプスブルク家の出身で、生まれた時から国を保持する立場にあった。したがって、国民が何か戯言を言っている、くらいにしか思われなかったのはわかります。

 ですが、ルイ16世に関しては、このことはなかなか当てはまらないんじゃないかと。彼はなかなか切れ者だったようで、頭もよかった(と思う)。したがって、国民が何を考えてるか?という思考ができたはずだったんですよね。いまどきの言葉で言えば「相手の立場に立って考えられる」人だったはずなのです。しかし、それができなかった。それはなぜか?という問題ですね。

 ひとつの仮説としては、「宮殿には情報が入りにくい状況だったのではないか?」というものが考えられます。つまり、新聞やニュースが入ってこない状態だった。当時はすでに風刺雑誌のようなものがあったようで、そこで実際にマリー・アントワネットが散々な言われようをしているわけですから、そういうジャーナリズムは存在していたわけです。しかし、それらはまず、宮殿に届かなかったのでしょう。なんで、新聞を届けなかったんでしょうね。これはひとつの疑問です。

 もっとも、その当時の時代状況的に「王家は世間のことなど気にしない」というような暗黙のルールがあったのかもしれません。あるいは、世間のことを気にしなさいというような教育を受けていなかったのかもしれません。そうなってくると、一生「国民の皆様の為に」という感覚を持ち得ないわけですから、フランス革命時の国民の動きに対して鈍感であったとしても致し方ないのかもしれません。

 またもう一つの仮説としては、「革命の動き・国民の気持ちを意図的に見ないようにしていた」という点です。少なくとも自分が国王だったとしたら、そういう現実逃避をしていたかなと思います。

 しかしながら、ルイ16世にしてもマリー・アントワネットにしても、革命後期で自分たちの命が危なかったとしても、どうも国民や身分の低い人達を見下していた節があります。それは、ラファイエットを始めとする様々な自分たちよりも立場のだいぶ低い人達への態度にもあらわれているんですね。この点から、意図的に見ないようにしていたというのは少し信ぴょう性が低く、むしろ、ただ単に国民をオルテガの如く、「なんかだから大衆はバカなんだ!!!」と考えていたような節を感じます。

 革命後半になると、「国民は王政を廃止せよ!と求め、王政側は国民主権などもってのほかだ!」という状況が訪れます。完全に利害が対立しているんですね。この考え方の溝が発生していたことは間違いないのですが、それらをつなぐパイプが何一つなかった――これが、フランス革命が暴走してしまった真相なのではないでしょうか。お互いに疑心暗鬼になるあまり、「疑わしきは罰せよ」の精神のもと、国王と王妃を処刑してしまったわけです。これこそが、フランス革命最大の悲劇でした。