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気まぐれに書評とか。

【書評】『武士道』

ずいぶん前だが、新渡戸稲造の『武士道』を岩波文庫版で読んだ。若干昭和初期のような言い回しがあるので難しいと感じた。できれば、ちくま新書版などといった「現代語」に訳されたもので読んだほうが頭に入ってくると思った。

「武士道」という精神性は少しわかりにくいもので、昔の武士の間ではたしかに共通認識と存在していた教義だったが、宗教と呼べるようなものではなかったのではないかと私は考えている。慣習ではあったが、ルールではなかった、くらいの認識をもっている。精神性ではあるが、思想ではない。だから、そもそも武士道をキリスト教と比較するのは間違っている。

私自身は、武士道の精神は、もう現代では消えてしまったと読む前には考えていた。明治維新と敗戦で消えてなくなったのかと思った。だが、武士道を読む限り、案外それは現代の日本にも残っているのではないか。日本人の精神性の根底にはいまだに武士道精神が残っている。気になる方は本書を読んでみてほしい。

じっさい日本人は、人性の弱さが最も酷しき試煉に会いたる時、常に笑顔を作る傾きがある。我が国民の笑癖についてはデモクリトスその人にも優る理由があると、私は思う。けだし我が国民の笑いは最もしばしば、逆境によって擾されし時心の平衡(バランス)を恢復せんとする努力を隠す幕である。それは悲しみもしくは怒りの平衡錘である。

「つらそうな顔をしながら笑っている人」をみたことがあると思う。これは他の留学生と接していてもなかなか目にしない。日本人だけが作る表情であろう。昔は常に感情を隠すことが要求された、とこの後の文に続く。それは今の日本でもあまり変わらない。

金銭なくして価格なくしてのみされうる仕事のあることを、武士道は信じた。僧侶の仕事にせよ教師の仕事にせよ、霊的の勤労は金銀をもって支払われるべきではなかった。価値がないからではない、評価せざるが故であった。この点において武士道の非算数的なる名誉の本能は近世経済学以上に真正なる教訓を教えたのである。

「医療現場」「福祉・介護」などはいい例だと私は考えている。これらはどちらかというと経済学的にいう市場システムの導入や合理的な規制緩和を嫌う傾向にある。それは武士道に由来するのだろうか。ほかにも日本には、こういった金銭的な価値を求めることが否定される職種が多く存在する。たしかに経済学的な合理性を導入すれば確実に生産性の向上や労働環境の改善が見込めるだろうが、古来より根付く武士道精神はそれを許さない。それは、今でも日本人を基底する一種の道徳として、日本社会の根底に散在する。

またその他、武士は刀をかなり神聖視していたようで、刀の上をまたぐとすぐに斬りつけられるほど、刀を大切にしていたそうだ。刀職人はその意味で、神具を扱う重要な職業だった。現代でも、神社には刀が奉納されていることがあると記憶している。

最後になったが、新渡戸稲造の西洋思想に対する教養と造詣の深さは圧巻である。書中でふんだんに援用される書籍は、どれも西洋では名著と呼ばれたものばかりである。(「ヘロドトス」などが登場している!)こんな日本人が明治期にいたというのは私にとって最も大きな発見だった。