『世阿弥』
- 作者: 白洲正子,水原紫苑
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/11/08
- メディア: 文庫
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世阿弥の『風姿花伝』に関して批評を行った作品で、個人的には白洲正子の中では一番好きかもしれない。もちろん風姿花伝も人生訓に富んだ一冊ではあるけれど、白洲正子の批評はより具体的に何を言っているかが解説されており、風姿花伝と併せて読むことで理解を深められる。
以下、引用。
今、私たちは初心といえば、美しいもののように扱っていますが、世阿弥の初心とは、必ずしもそういうものではない。むしろ、未熟で、まずい芸を「初心」と呼んだのですが、その時代の芸を忘れないで、一生持ちつづけることが大事だと、この一段では述べているのです。
そういう風に、若年から老年に至るまで、常に初心を放れず、生涯を貫くなら、芸が退歩する時はないのだ——、かいつまんで云えばそういうことですが、もっと簡単に云えば、もののはじめの溌剌とした精神を、常時忘れず育くめば、永遠の若さが保てるであろう、そう解釈してもさし支えはないと思います。
たぶんこれは今一番大事なことかもしれない。社会人一年目というのは、どうしてもまずい仕事を行ってしまいがちだ。なぜなら、経験も知識も足りていないからで、大学を卒業したばかりのペーペーにできることは何もないからだ。このことを自覚して、では「初心」だからどのように振る舞うべきかを、むしろ考えるべきではないだろうか。「初心」だから必要なこと。それは、真摯さではないだろうか。
就活生においても初心を忘れてはいけない。大学で変なプライドを持ち、カッコつけて面接にのぞもうとする学生があまりにも多すぎる。「面接がうまくいかない」と、2、3回しか面接してないにも関わらず嘆く学生のなんと多いことか。そして、その程度で挫折をしてしまう。これは世阿弥にいわせれば「初心」がなんたるかをわかってない、ということにすぎない。だからあきらめるにはまだ早いということに、早く気づくべきだ。
今度、学生時代のよしみというか腐れ縁で、模擬面接官をやることになっている。そのときにぜひ、この話をしてみようかと思う。
最初は不器用で当たり前であり、不器用だからこそがむしゃらに目の前の課題に取り組むことが重要なのだ。そのことを、世阿弥は教えてくれている。そしてそのがむしゃらさを、一生失わないことの大切さもまた、世阿弥は教えてくれる。