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気まぐれに書評とか。

『はじめての構造主義』

構造主義」とは何か。構造主義とは、ある現象があったとしてその現象を「全体的」で「有機的」な構造の集合体ととらえ、ほかのモデルを援用しながら現象の解明を目指す手法のことを言います。たぶんそうです。

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

すくなくとも、私はそのように理解しました。もっとも、感覚的にはわかっているような気がするのですが、実際に言葉に直すとなると結構難しいです。かなり回りくどくややこしい上述のような説明をすれば、可能なのですが。

そして本書はそのややこしい構造主義を「レヴィ=ストロース」と「現代数学」の2つの観点から読み解いてしまおうという、画期的な一冊でした。

レヴィ=ストロースって誰?

まず、いきなり「レヴィストロース」という名前を出したとしても「ジーンズの名前?」となってしまいそうなので補足。この人はフランスの思想家で、構造主義を作り上げた人です。

具体的にどうやって作ったかというと、ソシュールというすさまじい言語学者がいて、その人の思想をヤーコブソンというこれまたすごい人から聞いて、理解した上で構築したそうなんですね。

どうやら、ソシュールの言葉をバラバラにして一から考え直しちゃう考え方が、レヴィ=ストロースのちょうど行き詰まっていた研究の解決策として適切だったんだとか。それで、構造主義が誕生したらしいです。(ソシュールとか詳しく知りたい人は入門書を読み解いてください)

で、この人は主に未開地域に研究活動に向かい、現地調査をたくさん行ったんだそうです。そこで、おおざっぱに言うと、「未開地域の人びとの思考力とヨーロッパ人の思考力とに大差はない」ということを発見した!

当時ヨーロッパは自分たちこそが人類発展の最終形態で、自分たちは野蛮から抜け出した高等民族だ的な勢いを持っていましたから、レヴィ=ストロースの発見はある種、ヨーロッパを客観的に見つめ直すきっかけになりました。

なぜ、ヨーロッパ人がそういった考え方を持ってしまっていたかというと、ダーウィンからはじまる進化論のせいでした。進化論をある種悪用したスペンサーという人が、社会進化論なる、現代からすると非常にヤバイ理論を打ち立ててしまったものですから、ヨーロッパ人は有頂天だったわけですね。

社会進化論というのは、社会には発展のレベルがある、と唱える理論です。つまり、ダーウィンでいうサル=未開社会、人類=ヨーロッパ社会みたいな位置づけを恣意的に行ってしまう議論です。

ここから、ヨーロッパ人は、偏見なしに未開社会をみれなくなってしまったといいます。(こういった偏見に対する反発として、サイードの「オリエンタリズム」などが出てきたのでした)

近代から続くこの思考は、ヨーロッパ人をがんじがらめにしてしまっており、ヨーロッパの発展はながらく果たされませんでした。そしてその壁を打破したのが、構造主義だったのでした。

レヴィストロースの構造主義がなぜ、ヨーロッパ人の社会観を変えてしまった?

ところで、ここで疑問がわきおこってくるはずです。なぜ、構造主義(ごとき)がヨーロッパ人の社会観を変えてしまったのか?

構造主義は、あらゆる要素を一度バラバラにして検討するという癖があります。そこから、ひとつひとつの要素の関係性を分析すメソッドなんですね。

一度物事をバラバラにすると、じつは「無意識」の部分に到達しやすくなる。なぜなら、バラバラにした物事の間には「行間」が発生するからです。そしてこの「行間」こそが、「無意識」にほかならない。

この「無意識」レベルで未開社会とヨーロッパ社会を比べたとき、大差ないということにレヴィストロースは気づいちゃったんです。

この「無意識」は、未開社会やヨーロッパ社会の神話にあらわれていますし、さらにいうと婚姻形態や親族形態にも現れています。ここからわかることは、未開社会とヨーロッパ社会との内在的なロジックには大差がなく、同じような社会運動を行っているということでした。

(まあぶっちゃけ、この辺は中沢新一の『対称性人類学』がものすごくわかりやすく解説してくれているので、私の出番はほぼなさそう・・・)

数学史との一致

正直、本書の数学的な面からの構造主義の説明はイマイチよくわかりませんでした。この本はものすごくわかりやすくかかれていたので、わからないということは若干私の頭がおいついていなかったということを意味します。

しかし、さすがに何もわからなかったわけではないので、少しだけメモ程度に書いておこうと思います。

先ほどあげた『対称性人類学』の説明を少し引用すると、じつは「クラインの壺」という言葉にいきつくんですね。

クラインの壺」は、「ある図形の内側をずっと進んでいっていたと思ったら、ある時点で突然その図形の外側に出てしまった」という図形なんですね。3次元では表せません。5次元くらいが必要になるともいわれます。

5次元が必要、ということからわかることは、人類というのはこういう多次元の事象を本来的に考え出してしまう生き物だっていうことです。そして、構造主義によればそれは、無意識の言語による思考です。つまり、人間は本来的に無意識に多次元的な思考を行う生き物だった、というわけです。

しかし、近代までのヨーロッパの数学は、基本的にユークリッド空間という、平行線は交わらないし点や線に面積はない、その中で思考するという枠組みにとらわれていたのでした。そしてその思考にがんじがらめにされていた、といえます。

ところが、ちょうど構造主義が出る直前〜同時期くらいにかけて、ヒルベルトという人が非ユークリッド空間を生み出したり、リーマンという人が変な形の三角形が存在することを発見したりと、これまでの前提を覆すような発見が多々続いたんですね。

構造主義の登場と数学史の発展とが、奇妙に一致している。そんな不思議な感覚を、本書の後半部分は味あわせてくれます。もっとも、数学の部分についてはイマイチよくわからなかったんですけどね。

大学生活終盤で読んだ意義

実は、私は構造主義自体は2年生のころから知っていました。2年生のころに読んだ『対称性人類学』という本が最初の出会いでした。

そこで、本書にも出てくるマルセルモースの『贈与論』や、ポトラッチ・クラといった当時の未開社会の魔術などにも出会いました。ですから、本書で出てくる内容はほとんど既知のものが多かった。

そういえば中沢新一も『対称性人類学』の中で、「私は現代数学に興味がある」みたいなことをいっていた記憶があります。レヴィストロースを私はほとんど読んだことがないのでわかりませんが、構造主義と数学は切っても切り離せない関係なのかもしれません。

大学4年間、ずっとクラインの壺や多次元空間、さらにはアリストテレス論理学を超えた論理学の存在を探していたように思います。結局見つからなかったんですけど、構造主義はそういった意味であたらしい世界を見せてくれたと思います。ありがとう『対称性人類学』(アレ、本書は?笑

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

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