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気まぐれに書評とか。

なぜサラリーマンの目は死んでいるのか

来年就職予定の大学生が議論を呼びそうな記事を書いています。私も、ついこの間まで大学生だったので、同世代として少しコメントしてみようかと思います。

私は今新卒1年目で、金融系IT会社で働いています。そのなかで、銀行のリスク管理に関係するシステムの開発をするプロジェクトに入れてもらっています。なお、今日書く話は、会社のなかの特定の話題を批判するようなことではない、一般論だということをあらかじめ了承していただきたいです。。[*1]

さて、元ネタとなった記事はこちら。

yuma1102eff.hatenablog.com

内容をまとめてそれに対して建設的な批判を加えるのがとても面倒なので、気になった話題についてすこしコメントしていく形式をとろうかと思います。これが、意識高い学生だったけど比較的堅実に仕事をする会社に入った社会人の一意見です。

ネガティブな話でよく聞くのは 「世の中そんなに甘くない」「仕事は大変だ」 「初めからこうなりたいと思っていたわけではない」ということだ。

「初めから~」はの話は興味深い。 今、自分がこうなるのは嫌だ、と思っている人も昔は自分と同じように社会人生活に希望を持っていたということだからだ。 元々嫌々働き始める人がいるのも間違いないが、希望を持っていた人が夢破れていくのはどういう理由からなのだろう。

「世の中そんなに甘くない」というのはほんとうにそうです。私もアルバイトやNPO活動等で、マネジメントや自分自身のスキルについては結構自信をもった状態で入社しました。

が、実態としては正直社会人2年目くらいの人とは雲泥の差があります。大学に通いながら片手間でやっていた自分と、2年間休日をのぞいてほぼ毎日仕事で真剣勝負していた人とでは、実力の「実」の部分に大きな違いがあります。先輩は手強いですよ。そして、自分がこれまで培ったスキルは思いのほか役に立たない。すべてをゼロにする気持ちで入社すべきです。変なプライドは捨てるべき。

「仕事は大変だ」については、それは大変でしょうね。社会人になると自分の仕事に責任が伴ってきます。あなたの仕事の期限が少しでも遅れた場合は、周りの人に迷惑をかけることだってあります。あなたの上司は、新人のあなたのリスクヘッジを裏で必死にしなければなりません。できれば新人のあなたに気づかれないように、です。そういう意味で、「仕事」の意味合いが、アルバイトや学生団体のころとはずいぶん変わってきます。新人のうちは辛いものです。要領も悪いし、能力もないですからね。

さて、上2つとは毛色の違う愚痴があります。上2つは親父の小言としてよく言われる話なので、まあ聞いたことのある人も多いでしょう。しかし、次の愚痴は違う。

「はじめからこうなりたいと思っていたわけではない」。これについて、私は最近このことを口にする人が多いと思っています。そして、これが一番問題だと思っている。

「はじめからこうなりたいと思っていたわけではない」と考えているということは、「こうなりたい」という目標があったはずです。しかし私は、この「目標」の部分が問題だと思っています。

就職活動をして思ったことなんですが、みんな「キレイゴト」を語りすぎています。企業のキャッチーなフレーズって、中身がなくてほんとくだらないものばかりです。とくに、ITベンチャー系を受けたときは幻滅しました。うんざりしたので、お堅めで仕事状況のリアリティを真摯に伝えてくる今の会社に決めたという経緯があります。

「キレイゴト」の中心は、「夢」とか「希望」とか、あとは「生き生きと」「やりがい」とか、そういったワードです。「イノベーション」とかもそうですよね。まあ、そんなところです。

具体的な例で行けば、就活生向けの採用サイトを見るといっぱい出てくるワードたちが、いわゆる「キレイゴト」です。こういった言葉は、多くの場合学生に、仕事をする上では夢や希望、目標を持ちながら働くことが重要であり、当社ではそれが可能です!ということを言っているにすぎません。

しかも大学生はそのキーワードにわりとまんまとだまされ、仕事にたいする夢や希望、さらにはイキイキと働く自分というイメージを増幅させます。そしていざ入社した時、思った以上に夢や希望を持ちながら現場で働いている社員がすくないことに、幻滅していくのだと思います。もちろんすべての会社がそうではありませんけど。

で、なぜ大学生がこれらの「キレイゴト」キーワードにまんまとだまされてしまうかというと、今の世代の人って、しきりに小学校・中学校・高校で「夢」とか「希望」を持つことの重要性を叩き込まれているからだと思うんですよね。受験とか、進路決定とか、道徳の授業とか、ことあるごとに人生計画みたいなものをたてさせられる。そこには、「将来どういう仕事について」「年収はどれくらいで」——だから、こういう仕事につくためにはこの大学に行く必要がある、そういうことが書かれている。

でも、これってキモいと率直に思いませんか。はっきりいって、誰かに管理されたSF社会としか私には思えないんですね。働き始めてから夢や目標を持てない自分はだめなのか?という気持ちを増幅させる装置になっている。実際はそんなことはないんですけどね。

もちろん、この考え方に対しては次の反論もあり得ます。「夢」や「希望」を若い人が抱いたとしても、若い人がそれを実現できない社会が問題なんだ、と。まあそうなんですけどね。でも、社会ってそうは言っても簡単には変えられないですよね。

そもそも、江戸時代より前の人はたぶん、階級制で夢とか希望とか考えずに済んでいたかと思います。が、明治になって、近代の二大価値観である「自由」と「平等」なる言葉が入ってきてしまった。この辺りから、徐々に社会システムは変化してきているのですから、現代はその過渡期として見るほかないと思うんですよ。

私たち若い世代は、結局のところ多くを望みすぎているだけかもしれません。本来人間は、飯を食えて子どもを養えるだけの収入があり、そのお金で実際に飯を食え、子どもを養えていれば万々歳だったはずです。ああでも最近は、それすらままならない人も徐々に増えてきている。これが成熟社会と言われる日本の病理なのかもしれません。でも、大多数の大学生はそんなことないですよね。みんななんだかんだ大学に通えるくらいの裕福な家に育っていると思うんです。

多くのことを望みすぎてしまって、それが思った以上に実現できないからこそ、夢破れてサラリーマンの目は死んでいくのではないでしょうか。というか9割、若者は多くを望みすぎています。be ambitiousなのが若者の特権かもしれませんけど、「望んだことの大半はかなわないけどね」くらいの気持ちでいられないと死んじゃいます。

ただ、ひとつ強調したいことは、満員電車でサラリーマンの目が死んでいるのは当たり前です。第一に、眠い。第二に、人が多すぎて辛い。この2つで死んでるんです。かならずしも、仕事が楽しくないから死んでるわけではないと思います。満員電車の外で死んでる目の人にあったら、すこし声をかけてあげてください。

人によって、人生における仕事の優先順位がまったく異なることも、理解してあげて欲しいです。子どもの顔が見たくて仕方ないパパだって、結構いますから。子どもに会いたいばかりに、「仕事よ早く終われ」と念じつづけることを、私は悪いこととは思いませんけどね。それぞれの人にはそれぞれの人生があるのですから、むしろその人の仕事に対する態度を尊重してあげられる上司になったら、いいんじゃないでしょうか。

なんてとりとめもない話を考えました。来年から働き始める皆さん、こうは書きましたがそれでも仕事は楽しいですよ。がんばってください。

*1:こう書くと、これだから銀行系は・・・とか言われそうですが。リスク管理関連してるので職業柄リスクヘッジしてしまうんですよね。

『ニーチェ』ジル・ドゥルーズ

ドゥルーズはこの本の中で、ニーチェの言葉を借りてではあるが、次のようなことを述べている。哲学は、否定の歴史だったと。「○○をしなさい」ではなくて、「○○のような生き方をしてはならない」という思想が、ソクラテス以降の思想には根付いてしまっていた。

従って必然的に哲学は、その歴史において、退化しながら、自分自身に敵対しながら、そのマスクと混同されながらしか発展しなかった。能動的な生と肯定的な思想との統一の代わりに、思想は生を裁くこと、いわゆるより高い価値を生に対立させること、それらの価値に応じて生を測定し、限界づけ、生を断罪することを、自らの任務として定めるのである。 例にあげるとしたら、「理性」と「情念」の対立関係がそうだろう。これは多くの中世〜近代の思想家が論じてきた話である。できる限り情念の方を抑え、理性に従って生きよ。これが、近代哲学の根幹をなしていたといってもさし支えはない。

だが、ドゥルーズニーチェはこの歴史について疑問を投げかけるのだ。情念あるいや感情は、生きる以上欠かせない要素のうちのひとつである。それをないがしろにして、人は生を全うすることはできない。何より、本来は理性と感情は対立せずお互いが共存する存在であるはずだ。私もそう思う。

さらにいうと、哲学の失敗は「高位の価値」をセットしてしまったことだ、とドゥルーズニーチェは言う。そうしてしまったために、低位に位置づけられた価値に人生の重きをおいている人は、「価値のない存在」となってしまった。

ソクラテスは生を裁かれるべきなにものか、節制すべき、限界づけられるべきなにものかとする。そして思想を、高位の価値の名において——〈神性〉、〈真〉、〈美〉、〈善〉……などの名において用いられる一つの尺度、そこで実現される限界づけにする。 哲学者は、本書に何度も登場するように、こうして「立法者」として、高位に対立する低位の価値を低い物と見積もった。だがこのことは、低位の価値を重視する生に対して〈否〉ということであり、生の否定である。ドゥルーズニーチェは、生の否定に対してNOを突きつける。

〈力〉への意志

ドゥルーズは、ニーチェの思想内容解説の最後で、「よくありがちな誤解」として「〈力〉への意志」の誤解をあげている。

〈力〉への意志に関して(〈力〉への意志が、「支配欲を、あるいは「〈力〉を欲すること」を意味すると信じ込むこと)。

ニーチェの言いたいことはむしろ逆だ。〈力〉というのは、何かを「作り出すこと」である。そしてその「何か」というのは、肯定のエネルギーそのものだ。肯定のエネルギーを増幅させ、他との関係を徐々に逆転させていくことで、哲学に蔓延した「否定」の空気を逆転させることができる。これこそ、ニーチェ哲学の根幹だ。

ニーチェの語るところでは、〈力〉への意志はなにであれ欲しがったり、手に入れることに損するのではなく、むしろ作り出すことだ。・・・〈力〉への意志は相互の差異によって成り立つ示差的なエレメントであって、そこからある一つの複合体に向かい合う諸力が派生し、またそれらの処理機のそれぞれの質が派生してくるのである。だから〈力〉への意志はまたいつも動性に富む、軽やかな、多元論的な優位として提示される。

ニヒリズム

ニーチェニヒリズムにはいくつかの段階があると説明する。それをドゥルーズは本書の中で整理している。だが、それよりも次の事実の方がよりニーチェの核心に迫りやすいのではないかと私は思う。

以前のニヒリズムは、高位の価値の名において生の価値を貶めること、生を否定することを意味した。そしていまやこれらの高位の価値を否定すること、それらの代わりに人間的な——あまりに人間的な価値を置くことを意味するのである(道徳が宗教にとって代わる。有用性、進歩、歴史それ自身が神聖な諸価値にとって代わる)。

ここからは私自身の考えだが、神聖性が失われた現代は、非常に危うい時代になっている。道徳あるいは有用性、プラグマティスティックな考えは危険である。

なぜなら、道徳について言えば、誰かが「正しい」と行った時点で決まる恣意的なものである。そしてこれまでの歴史にも、ある過激派政党が自分たちの正当性をしきりに主張していたら、それがいつのまにか道徳的正しさをおびたように感じられた、という例さえあった。

有用性については「有用でない」ものは簡単に否定されてしまうからである。簡単な例で言うと金融市場だが、もうこのことについては言うまでもないだろう。マーケットで値段がついたものが正しい、という論理は「正しさ」の破綻を招く。

神聖性が失われたのは、神の死という大きなイベントがあったためだ。だが、神の死があったとしても、ニヒリズムは終わりを迎えない。なぜなら、ニヒリズムは持続し、ほとんど形を変えないからである。なぜ形を変えないのか。それは、担い手が同じ人間だからである。神の死において、「高位の価値」の意味は上に記したように代わったものの、結局「高位の価値」を定めている時点で、肯定-否定の関係が生まれる。これは、以前と構図が変わっていないと言えるだろう。

最後の人間

神の死のあと、人間は自分たちが神なしに物事をすますことができると主張するようになる。そして、神は自分たちであると主張する。自分たちが神なしで済ますことができるようになる、と主張しつづけると、だんだん虚無の世界へ深く入り込んでいく。なぜなら、「神」は物事の絶対的根拠であったから。道徳や有用性は、上に述べたように、相対的なものだから。

この思考が行き着く先は、「一切はむなしい、むしろ受動的に消え去ることだ!」ということになるだろう。一切はむなしいのだ。なぜなら、それは移り変わってしまうからである。だが、ここから人間の価値は反動し、新たな価値観を生み出すことになる、とドゥルーズニーチェは言う。

あらゆる価値の転換

あらゆる価値の転換は次のように定義される。

諸々の力が能動性へと生成すること、〈力〉への意志のうちで肯定が勝利すること。ニヒリズムの支配の下では、否定的なものが〈力〉への意志の形態であり、基底となる。肯定はただ二次的であり、否定に服従し、否定的なものの成果を寄せ集め、担うだけである。 いまやしかし、すべてが変わる。肯定は本質になるのであり、あるいは〈力〉への意志それ自身に成る。否定的なものに関しては、それが残存すると言えるが、しかし否定的なものは肯定する者の存在の様態として残存するのであり、肯定に固有の攻撃性として、先駆ける稲妻として、また肯定されるものにつき従う雷鳴として——つまり想像に伴う全的な批判として残存するのである。 価値転換とは、肯定 - 否定の諸関係をこのように転倒することを意味するのである。

ところで、肯定すると行った場合、ドゥルーズニーチェの肯定は何をさしているのだろうか?それが先ほどから話題に上っている「生」などである(ドゥルーズはさらに、大地などもあげる)。

これは、おそらくドゥルーズ自身の思想とも深くかかわり合った記述だと思う。なぜなら、ドゥルーズは自身の哲学を「自然哲学」「生命の哲学」として語りだしているからだ。差異を差異として認め、差異自体あるいはその集合全体を肯定することこそが、ドゥルーズ哲学の根幹をなしているからである。

これは具体的には、精神疾患を抱えた人間をどう捉えるべきかという問題に対する回答に現れている。現代では、統合失調症などを「病」として扱い、治すべき対象としてみなす。つまり、否定するのである。

ところが、統合失調症などはある種の個性であり、他人との差異と捉えることも可能だろう。何よりドゥルーズは生の否定を嫌った哲学者だった。統合失調症を差異として認め、その差異を否定することをできるだけ排斥した。差異を差異のまま肯定すること。

これがなされたとき、新しい価値が生まれることになるだろう。そしてこのことが、ニーチェを通してドゥルーズが伝えたかったこと、なのかもしれない。

ニーチェ (ちくま学芸文庫)

ニーチェ (ちくま学芸文庫)

年末年始は塩野七生

せっかちなWebの読者のために、先に結論を伝えたい。この本はおもしろい。ただし、世界史にある程度触れていなければ、楽しむことはできないだろう。「アテネ」「スパルタ」の言葉に「あぁ、あれね」と反応できなければ、この本は結構難しい。

*

塩野七生の新刊が出ているのを年末に発見し、読んでしまった。以前は古代ローマを扱った塩野さんだったが、今度は古代ギリシアを扱うという。

学生時代、古代ギリシアに関する話に結構触れる機会があった。ゼミでプラトンアリストテレスを徹底的に読み、その中でギリシアの文化についてもそれなりに触れた。『イリアス』『オデュッセイア』『オイディプス王』など、古代ギリシアの伝説的で現代にも受け継がれる名作を、自主的に一通り読んでみた。それくらい古代ギリシアは好きだ。

本書はまるでミステリーを解き明かしていくかのようにストーリーが進む。塩野さんはとにかく伏線を張るのがうまいと思う。「スパルタはとにかく機動力がない、なぜなら・・・」という話は、前半すぐに出てきて、本書の中でその後、スパルタの行動原理を示す物として何度も登場することになる。

伏線は効果的に張られることで、読者の理解をより助けることになる。

*

『300』という映画を見たことがあるだろうか。見たことがない方は、一度見てみてほしい、と思うくらいすばらしい映画である。あそこには男の理想の生き様が凝縮されている。とにかくカッコいいのだ。そして、その『300』で扱われた古代ギリシアの戦争が、本書でも登場する「テルモピュライの戦い」である。

テルモピュライの戦い」は、欧米人に「古代ギリシアの戦いと言えば・・・」と問うと必ずそう返ってくる戦いの一つである(ほかには、「マラソン」の語源となった、「マラトンの戦い」があるらしい)。アケメネス朝ペルシアを相手に、ギリシア連合軍が戦いを挑む。最終的にこの戦いでギリシア連合軍(最後まで戦場に残ったのはスパルタだった)は負けることになるが、その負け方が「玉砕」であったが故に、英雄的な悲劇として今でも語り継がれている。

『300』は、その300人のスパルタ兵士が玉砕する様を、できる限り美しく豪快に描ききった傑作の映画である。

本書でも当然、テルモピュライの戦いは触れられる。そこで、塩野さんは彼女自身の真骨頂と時に言われる戦闘描写を行う。これがとても臨場感のあるもので、僕はページをめくる手がとまらなかった。

この戦闘シーンはおそらくヘロドトスを中心に文献を丁寧に調べ上げ、著述していると思う。文献を丁寧に読みつないで、それをわかりやすいストーリーに変えきってしまう力は、一生身につけられない力だろうな、と思わざるを得ない。

*

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

『イデーン』『コネクトーム』

フッサール。その名前を高校の倫理で聞いた方は多いだろう。だが、フッサールが何をいい、何を考えた人かということまで知っている人は少ない。「あれだよね、現象学を唱えた人」――そこまで答えられればいいほうだろう。ドイツ観念論を代表するカントやヘーゲルの名前を知っている人は多いが、フッサールの名前を知っている人はまず少ないし、その思想内容はカントの二律背反やヘーゲル弁証法ほど知られてはいない。

現象学の主要な概念はいくつかあるが、とくに抑えなければならないのは「志向性」という概念だと私は思う。もちろん、諸説ある。人によっては、ノエシス-ノエマの方が大事だというだろうし、本質観取の方が重要な概念だ、という向きもあるだろう。だが、私個人としては、この志向性という概念は画期的で、しかも思想の最先端を行っていると考えている。

物事は、それ単体として「存在する」とは言えない。もしも、物事が、物事自身が、単体としてそこに「ある」ということを認めてしまったとする。そうすると、物事には「核心」「中心」が必要になる。何かが単体で「ある」ことを認めるということは、何かの真因がそこに「ある」ことを認める、ということだ。だが、これは随分前に哲学者が言ったように、因果論に陥ってしまう。物事には必ず原因があり、その原因はさらに原因を持つ。さらにその原因の原因をたどっていく。そうした思考は、最終的には「存在を基底する絶対者」という存在にたどり着かざるを得ない。だが、これはプラトンの「イデア」の話と同じで、「認めるか」「認めないか」の議論になってしまい、埒が明かなくなるのは目に見えているだろう。

一方で「志向性」という概念は、そういった「存在を基底する絶対者」を認めない。志向性とはドイツ語でいうとIntentionalität。これを英語に直すと、Intentionality。つまり、行為の「意図」くらいの意味がある。「意図」をどこかに向けることこそ、志向性という概念である。ところで、意図をどこかに向ける、というのはどういうことだろうか。私はこれを、「関係性を結ぶ」ことだと理解した。何かと関係性を結ぶこと、これこそ「志向性」なのだろうと考えている。どこかに人が意図を向けると、対象があると認めることだ。つまりその時点で、私は対象と関係性を持つことになる。関係性に「存在を基底する絶対者」はいない。関係性はつねに時間によって移り変わるものだからだ。そこには同一な何かは存在せず、ただ関係のみがある。言うなれば、関係性そのものが存在そのものである。

もちろん、上記の仮説は私の勝手な仮説に過ぎない。だが、フッサール志向性という概念を生み出した後に発展させていった思想の変遷を見る限り、意図する意味はそんなところだろうと考えている。そして、志向性という概念を拡張してハイデガーが『存在と時間』を書いたと考えるなら、この考えは大きく外れてはいないと思う。

ところで、なぜ私が「思想の最先端にあるかもしれない」と言ったか、という話をしたい。それは一冊の脳科学の本との出会いによって確信された。世界でも最先端の脳科学の考え方は、現象学の考え方と似通っていた。

最近、一冊の脳科学の本を読んだ。そこには、脳はなんとか領野という部分にわけられて考えられるほど単純ではなく、ニューロンの総体をもって一つの働きをなしている――そんな風に書かれていた。脳科学では、言語を司るのは脳のこの部分、視覚を司るのはこの部分、という見方をするのが通説となっている。みなさんも、テレビ番組等で一度は見たことがあるだろう。

だが、この理解では説明できないことがある。それは、単純な事実だ。特定の領野の部分が仮に停止したとしても、脳はその停止した領野の働きを補う機能をもっている。このことである。脳の左半分を失っても、残った右半分が左半分の機能を持ち始める、という話を一度は聞いたことがあるだろう。それである。

それを説明するのが「ニューロンの関係性」という概念だ。ニューロンの「関係性」こそが、脳の動きそのもので、さらにいうと、ニューロンの関係性こそが、その人自身なのだ。こんなことが、その本には書かれていた。

私はこれを読んで、現象学をすぐに思い出した。とくに「志向性」の概念を思い出した。結局、自身は対象がなければ存在していることにはならない。存在という概念の中にはつねに、何かしらの対象が存在している。また、自身というものは何かの「総体」なのだから、これまでの哲学や科学がやってきたように、とにかく物事を粉々に分割して事態を把握しようという考え方では限界がある。ある物とある物同士の関係性を分析することこそが、事態を把握する上では重要になってくる。

最新の脳科学と現象学の思考のエンジンとが似通っていることをもって、思想の最先端であると言ってしまうのは甘いかもしれない。だが、現象学はこれまでも哲学の陥っていた二元論のジレンマをある種うまいやり方で解決してきた。フッサールの用意した思考の断片には、まだ見ぬ新しい使い方があるかもしれない。その可能性は無限に向かって開かれている。

こんなことを考えた。

コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか

コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか

世界史の大多数は、実は疫病で決まってきた

何が歴史を決めるのかというのは、歴史を勉強する人にとっては非常に気になるテーマだ。歴史は何によって決まるのか。歴史はどのようにして動くのだろうか。真因を発見することは、おそらく歴史学者たちのひとつの夢ではないだろうか。

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)

疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)

疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)

『疫病と世界史』では、歴史の決定要因は疫病にある、という。さまざまな帝国は疫病によって滅びた——たとえば、元帝国などはいい例だろう、その頃はペストが大流行していたから。また、キリスト教イスラム教などは疫病の大流行によって希望の持てなくなった人々の心のよりどころとなっていたという考え方もできる。

筆者は本書の最後にこういう。

過去に何があったかだけでなく、未来には何があるのかを考えようとするときには常に、感染症の果たす役割を無視することは決してできない。相違と知識と組織がいかに進歩しようとも、寄生する形の生物の侵入に対して人類がきわめて脆弱な存在であると言う事実は、覆い隠せるものではない。人類の出現以前から存在した感染症は、人類と同じだけ生き続けるに違いない。そしてその間、これまでもずっとそうであったように、人類の歴史の基本的なパラメータであり、決定要因でありつづけるだろう。(太字は私)

疫病は、社会構造そのものや文化そのものも変えてしまう力を持つことが、本書を読むことでわかる。ペストの流行は社会構造と文化を変えてしまったいい例である。疫病によって文化を担っていた人材が亡くなる。そうすると当然、文化の担い手がいなくなるので文化も変容せざるを得ない。

よく、文化は文化そのもので変化してきたと論じられることがある。文化は人類が作り上げたものだから、人間が手出しすることで崩壊を防ぐことができると考えられがちだ。いい例が言語政策などだろう。だが、文化は環境要因、あるいは外的要因によって決まる。それはペストの流行によってヨーロッパが新時代に突入していくことからもわかる。

また、疫病がほかの民族への侵略を手助けしたり、あるいはそれを妨げたりする例もある。民族への侵略を手助けした例で有名なのが、中南米を征服したスペインだ。よく、スペインの軍事力が強いとか、あるいは白人だったから神様に見え、現地人が警戒心を持たず、虐殺されたという説明がなされる。しかし、スペインが新大陸を侵略できた主要因は疫病にあった。

疫病は、人が密集しているところでよく感染する。またヨーロッパと新大陸とでは、流行していた疫病の分布が異なっている。それに加え、ヨーロッパでは新大陸よりも数多くの人がいたし、それゆえに数多くの疫病が発生していた。だから、スペイン人は少し新大陸の人たちよりも抵抗力が強かった。これらが相まって、新大陸はスペインの侵攻後疫病に見舞われることになる。これが原因で、新大陸の人口は3分の1まで激減したとも言われる。

疫病がほかの民族の侵略を妨げた例は、インドやアフリカに見られるのだそうだ。北から南に侵略する際、どうしても南の方が生態系が豊かなため、それだけ豊かな疫病の土壌を持っている。南の方が、圧倒的に疫病の種類が多く、強力なのだ。それゆえ、進行するたびに疫病に見舞われることになる。結果的に、南に南に住んでいた住人は、疫病が天然の防波堤となって侵略を免れることができた。こんな例もある。

これらの事実は、私たちに発想の転換をもたらしてくれる。今でも歴史の教科書には戦勝者の歴史しか載っていない。つまり、ナポレオンがいたからこの戦争には勝てた、だとか、ピサロがいたからここを侵略することができた、だとかいう例だ。確かに、彼ら偉人たちの働きは勝利に少しだけ影響したかもしれない。だが、大多数は環境要因あるいは外的要因によるラッキーだった、ということがこの本を読むとよくわかる。

日本だって、そうかもしれない。日本は外界を海に囲まれていたから、独自の文化を育むことができた。だが、陸続きだったらどうなっていたかはわからない。温暖な気候はよくもてはやされるが、それだけ疫病の天然防波堤がないということもできる。歴史にイフはないけれど、このような視点から鑑みるに、別に先人ががんばったから、日本の国土を守れたとか、そういう話は少し傲り高ぶっていると勘づくのではないだろうか。

現代の日本はそういった風潮が強くなりつつあるから、今一度この本を読んで、日本は地政学的にラッキーに恵まれただけにすぎないという謙虚な気持ちを取り戻してみるのも悪くないと思う。

軍事の天才を学ぶことは、人生訓でもある

さて、先週に引き続き塩野七生ローマ人の物語』を読んでいる。今週は時間がたまたまあって、平日であったものの9巻を読み終えることができた。カエサルの前編は3巻から成っているから、残り1巻となった。

この巻では、カエサルはいよいよかの有名な「ガリア戦役」に出発することになる。ここがハイライトだろう。『ガリア戦記』にそって話は進んでいく。

ガリア戦記』は、昔ラテン語の授業で少し訳をした覚えがある。名文だ、と言われる。ガリア戦記の日本語版も読んだけれど、やはり名文だった。カエサルは文章がうまい。それは、1文1文が明確でとても短いからだ。文章の短さはリズムを生む。それはそのまま、文章のうまさにつながる。

前回、カエサルはとても読書家だった、と書いた。塩野は「カエサルは最高の知性である」というほどだ。知性を持つ人は、それだけ人に伝える力も半端ではないのだと思う。

ガリア戦記のハイライトは、個人的にはブリタニア進出だと思っている。なぜなら、ブリタニア進出はカエサルにとってなかなか困難な事態だったと思うからだ。

ブリタニアは現在のイギリス。そこで、カエサルはまず上陸から苦戦する。はじめての土地だったため、土地勘がない。だから、岸に敵の兵士が待ち構えていて、攻撃をされるというシーンが多々ある。ここでまず苦労する。

大陸から遠く離れた島に上陸するということで、兵士たちは多くの荷物を持っていた。そのため、上陸の際にどうしても動きが遅くなり、敵に襲われるという事態が起こっていた。カエサルはその事態をよく観察して見抜き、途中から身軽な軍船を先に岸につけるようにする。ローマ人は陸上では最強だから、敵をどんどんなぎ倒していく。それに後続が続く。こうして、ブリタニア上陸は成功した。

私は、カエサルの強さはこの観察眼にあったと思う。とにかくカエサルは戦場をよく観察している。観察された事実をもとに、よく考え適切な推論を論理的に導く。この力が半端ではない。いくつものピンチを、この観察眼で乗り切る。これがカエサルだ。

カエサルのアイディアは、こうした観察眼に原動力がある。カエサルのアイディアひとつで、非常に危険な状況だった戦況が瞬く間に逆転する瞬間が、ガリア戦記にはいくつもある。

私はカエサルのあれこれを読んで、指揮官には観察眼が不可欠なのだということを学んだ。それは、日常の仕事においても変わらないと思う。よく周りを観察し、問題を発見する。そしてその問題を適切に解決するためのアイディアをひねり出す。

アイディアは、別に高度なものでなくてもよい。少し機転を利かせたものを、ストレートに実行すればいい。難しいことは何も考えなくていい。ビジネス書に登場する華麗な経営者たちのようなアイディアでなくともよい。ただ、その解決するアイディアを打つタイミングを間違えなければいいのだと思う。

ガリア戦記には書かれていないことに関しても想像しなければならない。カエサルの作戦は華麗なように見える。だが、実はその作戦の前には10回の失敗作戦があったのかもしれない。カエサルガリア戦記にはハイライトしか書いていない。ここに惑わされてはいけない。ひとつのすばらしいアイディアの裏側には往々にして、何回もの失敗がある。試行錯誤の末だした結果が、たまたまよいアイディアだったのかもしれない。

このローマ人の物語9巻は、ガリア戦記の最高のガイドだと思う。こちらを先に読んでからガリア戦記の該当箇所を読むようにすると、ガリア戦記をとても楽しめる。カエサルは自分の私情はガリア戦記に一切書かない人だったけれど、ローマ人の物語にはカエサルの私情が書いてある。それらを照らし合わせながら読むと、カエサルが戦場で何を考えていたかの理解が深まる。それは、そのままガリア戦記の理解につながる。

ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫)

ガリア戦記 (岩波文庫 青407-1)

ガリア戦記 (岩波文庫 青407-1)

『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル』

ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)

カエサルは高校時代の世界史が最初の出会いだろうか。高校教師がカエサルについて話したという記憶はない。学校の先生というのは、個人的には知識が浅くてイマイチ、という印象がある。しかし、浪人時代の予備校教師が話してくれたカエサルの話は今でも覚えている。

思えば、僕は高校くらいまではほとんど本を読まない人間だった。年間で1冊読むか読まないかのレベルだったと思う。学校の勉強は仕方なくでやっていた記憶がある。だが、今のように自ら興味のある分野を自分で見つけ、自分で学ぶようになったのは、やはり浪人時代の予備校教師のおかげだったと思う。とくに、英語と世界史の先生が記憶に残っている。

横道にそれるが、私は高校時代くらいまで「知的好奇心」を刺激してくれる人間に出会わなかったなと思う。だから先生に対してはあまりいい印象を持っていない。どちらかというと薄い知識しか持っていない凡人、というのが教員に対する個人的なイメージだ。

で、その世界史の先生はローマ史が専門で、本人も「話しだすと半年くらいは授業できる」と言っているくらいだった。そんな彼が、海賊に襲われた時のカエサルの話をしてくれたことを今でも覚えている。また、クラッススカエサルのATMだった、というような話も覚えている。

そんな話が満載の、塩野七生カエサル本だった。まだ上巻しか読んでいないので、上巻に関する感想を少しだけ。

まず、カエサルの幼少期〜青年期に触れている本はこの本くらいなのではないだろうか。多くの本は、カエサルが頭角を現し始めたときくらいからを描いている。だから、カエサルは早熟の天才だったのでは、という勘違いをしがちだ。

本書を読んでみるとそれはどうやら見当違いだということがわかる。カエサルは早熟ではなかった。40歳までは、チャンスに恵まれずに出世もしていなかった。しかし、40歳になって頭角を現すことに成功した。そういうチャンスを掴む際はまず、カエサルにあったといって差し支えないだろう。

しかし私はそれ以上にカエサルには重要な事実があったと思った。それは、カエサルキケロが認めるほどの読書家だった、という事実だ。当時の本はパピルスでできていたからとても高価で、カエサルは本の読み過ぎが原因で借金を抱えることになる(それ以外には、服と女で借金を重ねる)。それくらい、若いころに大量に本を読み込んでいたのがカエサルだった。

カエサルが読書家だったという事実はあまり知られていないし、カエサルの読書に関しては、詳細がないせいか塩野はサラッと流している。僕はカエサルの出世の原動力はこの読書で身につけた知力にあったと思う。

だから、40歳になってチャンスが巡ってきた際、自分がどう振る舞うべきか、どういった戦略をもとに出世すべきかを考えることができたのではないだろうか。カエサルは、若いころの読書貯金によって、20数年後に力を発揮することができた。

やはり歴史上の偉大な人物というのは往々にして読書家だったし、若い頃からコツコツと続けてきた努力が後年になって実を結ぶというのも往々にしてある話だ。だから、今仮に力を発揮できていない、不遇を受けていると思っているとしても、今の努力は決して無駄ではないと考えるべきだろう。それは、歴史の多くの偉人が証明していることなのだから。