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気まぐれに書評とか。

『アンリ・ルソー楽園の謎』

アンリ・ルソー楽園の謎』岡谷公二

アンリ・ルソーという人物をご存知だろうか。

かの『社会契約論』『人間不平等起源論』で有名なジャン・ジャック・ルソーではない。『夢』『蛇使い』といった作品で有名な、ルソーの方である。彼はフランス人で、1844年に生まれた。ちょうどドレフュス事件などがあった、あの時代である。

ルソーは生涯で大量の作品を残したといわれる。しかし、あまり生活の方は芳しくなく、描いた絵をカンヴァスとして売ることがあったために、かなりの数の作品が消失してしまったと言われる。それを題材としたのが、後述する原田マハ『楽園のカンヴァス』という作品だった。

残った作品の中で、いくつか傑作と呼ばれるものがあるけれど、私がとくに素敵だと感じる作品がひとつある。それは、『夢』という作品だ。これはニューヨーク近代美術館に所蔵されている絵で、ルソーが生涯において最後に描いた絵と言われる。ルソー自身は、密林自体は描かれた女性の夢の中の風景を描いたもので、その女性をルソーの目線から描いたものだと語ったようだ。

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アンリ・ルソー『夢』

その他、『詩人に霊感を与えるミューズ』や、『第22回アンデパンダン展への参加を芸術家に呼びかける自由の女神』といった作品をすぐに思いつく。

これらの作品に共通し、さらにはルソーの作品の多くについて共通して言えることが2つある。まず、ルソーの絵は決して「均整のとれた」絵であるとはいえないという点だ。どちらかというと、頭と胴体のバランスがおかしいような、そんな幼児のような絵を描く。それが原因となり、発表するたびに作品は笑われたし、画評でもこっぴどくこき下ろされた。

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彼の自画像

だが、それがルソー絵画の個性である。彼の絵が、実は後にピカソなどに影響を与えているなどということは、美術史をきちんと読み解かない限りは知る由もないだろう。当時の絵といえば、均整のとれた美しさを追求したものが多かった。ピカソはそういったスタイルに飽きを感じていた時期だったのか。偶然にもルソーの作品と出会い、それが要因となってキュビズムが誕生したともいわれる。そういった、すこし廃れ始めていた(?)近代絵画へのアンチテーゼとして、ルソーの絵は大いに意義があったのだろう。そしてルソーは、「素朴派」の代表格として、後世に名を馳せることとなった。新しいジャンルを切り拓いたパイオニアだったと私は思う。

次に特徴的なのは、その鮮やかな色彩ではないだろうか。彼の絵で目をひくものといえば、まずはやはり色彩の豊かさだろう。そしてそれはとくに、後期の熱帯雨林シリーズにおいて開花していると言える。

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ジャガーに襲われる黒人

ルソーは細部にとことん拘るスタイルだった。また、緑色を合計で21種類、すべてトーンを変えて用いて描いた作品もあり、それだけ色に敏感だったようだ。色に関して言えば、彼は天才だったといわざるをえない。

彼の人生はどういうものだったかというと、絵に表れるように「色」の豊かな人生だった反面、モノクロに近いような生活を送っていたというような面もあったそうだ。彼は恋多き人間だったが、それが原因となって女にカネをつぎ込みすぎ、自分の生活を苦しくしていた面もあったそうだ。最後の『夢』に描かれている女性は、実はルソーが最後に愛した人だったのではないかという説は、まことしやかに伝えられるところである。

しかしながら、同時にルソーの人生には謎も多い。彼自身の虚言癖や周囲の記述の齟齬などから、彼の人生にはとにかく謎が多いのだ。また、彼は結局最後の作品についてはなぞめいた発言をして終始しているため、最後に描かれた女性が誰だったのかもわかっていない。だから、「楽園の謎」と題する本書が登場したとも言える。

「密林をルソーはどこで見たのか?」「結局賞はどのくらいとったのか?」「伝説のルソーの夜会は、いったいどういうものだったのか?」――彼が嘘をつくのもあり、周りの記述があいまいだったりすることもあり、謎は結局解き明かされていない。

ただ、本書では「おそらくこれだろう」という答を提示してくれている。その点で、おすすめできる一冊である。

実は、私がルソーを知ったのも、この「謎」を解き明かす小説の中でだった。原田マハという人が書いた、『楽園のカンヴァス』という作品であった。

楽園のカンヴァスでに登場していたのも、彼の『夢』の中に描かれる女性のエピソードだった。ヤトヴィカといわれるこの女性は、いったい何者だったのか。これは興味がつきない話である。

この作品の中で、先ほども描いたように、ピカソの(それも、ブルーピカソの)カンヴァスの下に、実はルソーのもう一枚の『夢』が眠っている、というエピソードが登場する。時代の流れの中でカンヴァスの下に消失してしまったルソーの作品群にも思いを馳せずにはいられない。

絵画についてあまり詳しいことはわからないのだけど、貧しさゆえに作品を手放さざるをえなかった人もいたことは間違いない。そういった不運にあいながらも、現代までなんとか生き残った作品を大切にし、後世へとつなぐことが今後の我々の役目なのかもしれないと感じる。