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気まぐれに書評とか。

『国家はなぜ衰退するのか』上

大学生の頃に出版された本だったが、最近まで読めずにいた。しかし最近になって文庫化されていて、ぜひ読んでみるかということで読んでみることにした。感想としては、非常におもしろい!以外の言葉が出ない。まだ上巻だけど、ひとまず感想を書きたくなるくらいにはおもしろい。

本書の中心的な問いは、「なぜ裕福な国と貧しい国の間には、これほどまでの収入と生活水準の格差があるのだろうか?」ということである。そしてアセモグルたちが本書の中で語るのは、「その国が経済的に豊かかどうかは、その国が採用した政治制度によって決まる」というもの。私有財産をきちんと認めたり、競争を自由に促すような政治制度を導入した国は経済成長が起こって裕福になり、それをしなかった国は貧しくなる、というものだ。具体的に筆者は、前者を包括的経済制度の導入と呼び、後者を収奪的経済制度の導入と読んで対比する。

包括的経済制度の導入例のほとんどは、じつは今の先進国である。アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ、そして日本などは全部、包括的経済制度を早期に導入したがゆえに、今の地位を築き上げている。一方で、収奪的経済制度の導入の例のほどんどは、今の発展途上国である。最近になってたしかに発展途上国は目覚ましい成長を遂げているものの、たとえば100年前の中国は収奪的経済制度を導入していたがゆえに、停滞していた(もっとも、中国も現在は包括的経済制度を導入し、爆発的な成長を遂げている)。

包括的経済制度というのは、本書ではあまり詳しくは書かれていないけれど、おそらく次のことをいう。私有財産を認め、自分の財産が他人から強奪されることのない安全な状態。その上で国民は自由に商業活動を行え、そこで獲得した富をすべて自分のものとして保持できること。保持できるがゆえに人々は自由に競争し合い、イノベーションを起こそうと切磋琢磨すること。いうなれば、近代以降ヨーロッパやアメリカなどでスタンダードとされた経済制度をしくことである。

収奪的経済制度というのはその逆で、私有財産は認められておらず、財産を保持したとしても支配者もしくは政府に強奪される可能性のある状態をいう。商業活動は自由かつ安全には行えず、賄賂などが横行している。結果としてイノベーションなどは起きない。江戸時代以前の日本や、今の北朝鮮などがそれだと言える。

各国間の貧富の差を説明するものとしては、『銃・病原菌・鉄』で語られたように、その国の位置する場所によって決まるという地理説などがあるけれど、アセモグルは地理説を批判する。具体的にはアメリカの国境沿いにある街をひとつ例にとり、数キロしか離れていないのにこれだけ貧富の差があるのは、アメリカは経済成長が可能な制度を導入したからで、メキシコはそれをしなかったからだ、と説明する。

このアセモグルたちの主張は、各国間の貧富の説明の新しいスタンダードになるかもしれない。一方で、ダイアモンドの地理説のような奇抜さはなく、読んだ人は「まあ、そうだよね」という感想を抱くかもしれない。みんな気づいていたけれど、なぜか意識的に外していた問題を、アセモグルたちは再び表舞台にのぼらせたという印象を受ける。

で、本書の内容は実は以上なのだ。このシンプルさがまた読みやすい。あとは延々と具体例が続くのだが、世界史の復習にもなってちょうどいい。取り上げられる国々は多種多様、歴史上の国も当然取り上げられる。ローマ帝国から産業革命前のイギリス、コンゴやジンバブエ、そして日本も取り上げられる。

ただ、である。あえてわかりきっている陳腐な問いをいくつか立てておこうと思う。アメリカの天才たちが考えることだから、この手の問題に対してはすでに反論が考えられているかもしれない。いつかアセモグルが来日して公演するようなことがあったらぜひ聞きたい、そんな質問を立てておこうと思う。

まず1つ目は、「ではなぜ、現在経済発展を遂げている国は包括的経済制度を導入できたのか?」という問題である。この点については、本書ではあまり深く掘り下げられていない。もちろん、各国ごとに個別事情があることは承知である。だが、各国が包括的経済制度を導入できたのは、「運」以外のなにかしらの要素があるはずだ。たとえば、階級間の移動が思った以上に簡単にできる社会構造だったとか、そういう理由があるはずである。その点について、ぜひ研究調査が進むといいと思う(下巻に書いてあるかも?)

2つ目は、「じゃあ包括的経済制度を導入できなかった国々は、包括的経済制度を導入できさえすれば、今の先進国が今より貧しくならずに発展途上国が今の日本くらい豊かになれるの?」という問題である。これはどうなんだろうか。*1これは究極の問いだ。なぜなら、経済はトレードオフと相場は決まっていて、どこかの国が今より豊かになるとすれば、どこかの国が今より貧しくなるのは確実だからだ。そして、この問題が解決されないかぎり、アセモグルが解き明かしたかった「貧富の差」の問題は謎に包まれてしまうことになる。そして今のところ、本書ではこの問いに対する答えは書かれていないように見える。

3つ目は、「地理説はそんなに簡単に否定できてしまうものか?」というものである。結局1つ目の「なぜ包括的経済制度を導入できた国々は導入でき、そうでなかった国々はそうできなかったのか?」という問いにつながってくるけれど、この問いに対する答えを供給する有力な手段として、依然地理説は残り続けると思う。包括的経済制度を導入できた究極の答えはおそらく、エリート層が簡単に自分たちの欲しい資源を独占・収奪しなくとも手に入れられた、というものになるだろうけれど、それが実現可能だったのは結局その国の位置していた場所がよかったからに過ぎないし、その国で栽培可能な作物が、無理をしなくとも潤沢に生産可能だったからだろう。そのように、人間が最低限生命を維持できる余力があったからこそ、エリート層は資源を独占・収奪せずに済み、結果として大衆の要求をのめる余裕が生まれたはずである。だから、包括的経済制度を導入できた、とも言えるのではないだろうか?

締め方がわからなくなってきたが、一旦上巻を読みきったので疑問をメモがてらおいておこうと思う。

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

*1:今の日本くらい豊かになれるというのは曖昧で結構難しい定義かもしれないが、一人あたりGDPいくら以上、みたいな話だと思っていただければと思う。