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気まぐれに書評とか。

『イデーン』をちょいちょい読み返して思うこととか

*GW、なんだかんだちょくちょく仕事があるし、予定が入ったりして完全に暇というわけには行かないけれど、おおよそ暇なので普段じっくり読めない哲学書を読み返す。今回は『イデーン』を軽く読み返した。

*正直、『イデーン』は、現象学の概念の整理編といった印象を受ける。まず、学問には事実学と本質学という分類があって、というところからはじまり、本質観取とはこういう概念で、還元とはこういう概念で・・・ということを延々と整理している印象。もちろん、フッサールのその緻密な作業のおかげで、論理の飛躍はほとんどない(ように感じる)。

*自分の知りたいのは概念ではない。概念は、フッサール本人の文章より、整理された解説書のほうがよほどわかりやすい。求めているのはそこではなく、現象学の概念の「使い方」の方だ。だが、案外これがどこにも載っていない。。。

*が、現象学というのは、僕自身はもっと「使える」方法論だと思っている。実際にフッサールが各概念をどのように使いこなし、どのように分析したかが『イデーン』に載っているか、というと実はそうでもない気がしている。すくなくともⅠを読む限りの話だが。還元ひとつをとっても、具体例はほとんどない。抽象的な論理が、驚くべき緻密さで重なっている。しかし、具体例がないものだから、我々凡人には、どうやって本質観取をするとよりよい本質観取になるかわからないし、還元はどのような手法で行うとよりよい還元になるかがよくわからない。

*「どのような手法で行うと」「よりよい」○○と書いたけれど、この「よりよい」は実はフッサールは嫌いだったんじゃないかと思えてくる。フッサールはもともと数学畑の人で、数学って”完全な”を容認する学問だから、その完全性の担保のために、あえて「よりよい」レベルの方法論は提示しなかったのかも。この辺は妄想でしかないけれど。

フッサールが具体的な方法で還元を行っていた箇所は、別所になるけれど『デカルト省察』の44〜47節のあたりだった記憶がある。そこで、どのようにエポケーをし、どのように無駄な要素をそぎ落として本質にたどり着くかを、フッサール自身が行っていた。あれは見事だったけれど、凡人にはまだまだわかりにくい。この辺を咀嚼して自分の方法論にできないものかと考えてはいる。今後の研究のネタになるかも。

*で、『イデーン』を一通り読み通してたどり着いた結論としては、カントを読まないとフッサールは理解できないなと。『純粋理性批判』は、学生時代にサラッと読んだだけで、授業やゼミでもあまりまじめに扱ったことはなかった気が。というわけで、純粋理性批判をしばらくは読んでみようかと思っている。仕事の疲れ具合と要相談、だが。

*『純粋理性批判』を少し読み返してふと引っかかるところが。分析的判断と綜合的判断の節のところで、主語Aという概念の中に述語Bが含まれるかどうかを問題にして、カントが簡単な例を出して説明しているところがあるのだが、これが全然納得がいかない。第一、概念Aの中にBが含まれるかどうかを整理するためには、そもそも概念Aの境界を設定してやる必要がある。ところが、この境界を設定してしまうと、そもそもアプリオリな概念じゃなくなってしまうような、と考えている。カントは綜合的判断の方をアプリオリに近いものとしてプラス評価気味に話を進めていく。でも、そもそも前提から怪しいかもしれない・・・などと思いながら、解説書をいつか紐解こう、と考えた。

*なお、本屋で棚を眺めていたら、ヤスパースが昔『イデーン』について学位論文を書いていたらしく、その本があった。値段は2400円で、かなり安い。買ってもいいかも。タイトルは忘れた。