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気まぐれに書評とか。

生きる希望をなくしたら読みたい、『三十歳』

30歳が近くなってきた。まだ24だが。でも、20歳の人に親近感を感じるかというと、感じない。感じるのは30歳の人の方だ。なぜなら、社会人になってしまったからだ。

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30歳を目前にすると、いろいろ疲れる。なぜ疲れるか。人生の辛酸をすこしずつ舐めはじめるからだ。こんなことをいうと30歳以上の人に怒られるかもしれない。お前はアマチャンか!と。アマチャンで結構、だが、疲れているのは事実だ。

インゲボルグ・バッハマンなんていう詩人がオーストリアにいたらしい。こんな人、正直知らなかった。一部の文学好きの人の間では結構有名みたいで、アマゾンのレビューを見て、「次はこの本も訳してくれ!」なんて書いてあって驚いた。オーストリアには、インゲボルグ・バッハマンの文学賞みたいなものまであるらしくて、それが文学をやる人の登竜門になっているらしい。

けど、バッハマン自身はどうやらローマに住んでいたようだ。亡くなったのもローマ。自宅で、タバコの火が自分の身体に燃え移ってしまって、結局全身やけどで10日後に亡くなったらしい。彼女はローマに住んでいた。だから、この本にもすこしだけど、ローマの記述が出てくる。

そんな詩人だったバッハマンが小説にもチャレンジ(?)して、その短編集が収録されて一冊の本になった。それが、『三十歳』という本だ。哲学の博士号までもってるような人だからか、内面的な描写が非常に優れている。内面描写モノの好きな僕としてはドツボだった。

『三十歳』は、要するに次のような主人公が登場する。

それまでの彼は、日々単純に生きていた。毎日何かしら違うことを試み、悪意を持たずにいた。自分にたくさんの可能性を見いだし、たとえば、自分は何にでもなれると思っていた。偉大な男、人々の目標となる存在、哲学的知性。

そんな彼が、三十歳を迎えるにあたって急に、人生を見直したくなった。そして、彼は旅に出ることになる。そこからの話はちょっとネタバレっぽくなってしまうので割愛する。けれど、非常に三十歳(というか、若者)の内面をよく描写できていると思う。

人が変わるタイミングというのはいくつかある。誰かとの出会い。あるいは、どこか新しい環境に住み始める。けれど、僕が思うに、大学を卒業してしまうとなかなか誰かとの出会いによって自分が変わったり、新しい環境に住み始めて自分が変わったりすることは難しいと思う。なんというか、10代や20代前半のころと比べて、「感受性」が変わってきてしまっている気がするからだ。

感受性ということばは便利だけど難しい。僕が思うに、感受性が以前と違うというのは、何に対しても「感動」を特段抱かなくなったということだ。人生経験を積んだといってもいい。あるいは、仕事で疲れていると言ってもいい。若い頃のように、本を読んで「うおお!すげえ!」という感動を抱かなくなったと最近思う。書店を歩いていてもワクワクしなくなった。

それと変わって最近つねに求めていることは、日々が同じように繰り返してくれることだ。アブノーマルな事態ーーたとえば、先週のようにマーケットが大荒れするとか——が起きると、「やめてくれよ」と思うようになっている。年をとったなと思う。大学生のころの自分はむしろ、日々に変化があることを求めていたから、ある意味成長したのかもしれないけど。

そういうわけで、人は人生経験を積むと「変わる」ことが容易ではなくなる。人を変えるキッカケも容易ではなくなるから、旅とか人との出会いで大学生のころのように感動して変わる、なんてことはなくなる。Facebookを開けば、世界一周で人生変わっちゃった!と言っている人が多くいるけど、彼らは結局のところ、若くて感受性がまだ豊かなだけだ。

20代でさえそう思い始めているのだから、30代はさらに疲れるんだろうか。よくわからないが。

でも、30歳になるということはどういうことなんだろうか。感受性以外にもある。話を聞く限りは、30歳になると、人よりも優れた何かを持ち始めないといけない年だ。そしてその人よりも優れた何かは、20代のうちに蓄えておく必要がある。主人公も、そろそろ気づき始めたようだ。

いまのように三十歳を前にして幕が上がる瞬間が来ることを、彼はこれまで一瞬たりとも恐れなかった。「アクション」の声がかかり、自分がほんとうは何を考え、何ができるのかを示さなければならないこと。そして、自分にとってほんとうに大切なものは何か、告白しなければならないこと。千と一つあった可能性のうち、ひょっとしたら千の可能性をすでに浪費してしまったこと、あるいは、自分に残るのはどっちみち一つだけなので、千の可能性を無駄にせざるをえなかったことなど、彼はこれまで考えもしなかった。

思うに、主人公はそういった「何か優れたもの」を得られたように感じられず、人と自分を比べて自分には何もないことを気づいてしまった。結果、自分の人生を見つめ直したくなって、自分を変える旅に出たのではないだろうか。そういう気分になること、一度や二度経験した方もいるはずだ。まあ、そんなところだろう。

彼は迷って旅にでる。が、何も変わるものはなかった。昔を思い出すだけで、結局過去の奴隷となるに過ぎなかった。最終的に彼を変えたのは生死をさまよう経験だった。そうして、生きていることを実感する。

結局、年をとってしまうとガツンと来る経験しか自分を変えてくれるものはないということか。それは、自分が死に近づけば近づくほどよい経験、ということになるんだろうか。でもそういえば、とも思う。

僕が大学に入学する年にちょうど、東日本大震災があった。ちょうど受験のために千葉にいたが、見事に地震に遭った。その時以来、自分がいつ死ぬかわからないことを悟った。こういう経験があると、自分の人生は有限だということを嫌でも知る。そしてそういう経験こそが、人の生きる意志を生むのかもしれない。生きる意志があるうちは、人は自分を変え、より優秀であろうと思うだろう。

もっとも、うつになってしまったらこんなこと言ってられないんだけども。

三十歳 (岩波文庫)

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