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気まぐれに書評とか。

『世界システム論講義』は歴史に興味があるなら一度は読んどくべき。

『砂糖の世界史』や、ウォーラステインの世界システム論講義を翻訳した川北先生の本。世界システム論とは、世界を一つの有機体だと捉える考え方のこと。世界システム論によれば、世界は「中核国」と「周縁国」に分かれる。そして、その国と国同士がお互いにどのような役割をになっていたかを分析する手法だ。

世界システム論講義: ヨーロッパと近代世界 (ちくま学芸文庫)

世界システム論講義: ヨーロッパと近代世界 (ちくま学芸文庫)

筆者は本書の最初の方で、「先進国」と「後進国発展途上国)」とに分類する現代の考え方に対して疑問を投げかける。それはほんとうに正しいのだろうか、と。ある国を「先進国」とみなし、ある国を「後進国」とみなすことには、国が一つの目標に向かって発展し、その目標の達成度合いでレベルが決まる、という前提を容認することに等しい。

そして、この考え方が普及したのも「世界システム」によるものだと筆者は考える。なぜなら、世界システムとは「中核国」が「周縁国」を従属させる仕組みそのものだからだ。従属した周縁国は当然、中核国の思想を徐々に受け入れることになるだろう。こうして、イギリスやアメリカが考えだした発展観が、全世界を席巻していくこととなった。

現代の資本主義も、この「世界システム」がなかったら発展しなかったと言っても差し支えないと思う。なぜなら、資本主義はつねに「周縁」を搾取しながら発展してきたからだ。言い換えれば、フロンティアという存在を発見し、そこを制服していくことによって資本主義は発展する。現代で言えば「オーシャン」——それは青でも赤でもよかった、青か赤かは制服のしやすさの違いでしかないから——を追い求め、そこを攻めることによって資本主義は発展した。

世界システムを考えることは現代の資本主義経済の本質に迫ることだ。

本書は最初はスペインとポルトガル、その次はオランダ、そしてイギリスの歴史を扱って、最後にすこしだけアメリカに触れる。世界のヘゲモニーの変遷についていくような、そんな構成になっている。もともとは放送大学のテキストだったらしいが、俯瞰的に、だが深くヨーロッパ史を学びたい方は読むべき。

現代生活の多くの「正しい」とされる価値観は、近代が作った幻想かもしれない

イギリスやアメリカが世界のスタンダードとなったのはここ200〜300年の間くらいだ。そして、ここ200〜300年くらいの間に、人類のスタンダードも変わってしまったのだなと本書を読みながら思う。

本書の中では、イギリスの産業革命以前の労働について一瞬触れられるのだが、私にはこれがまず印象に残った。産業革命以前のイギリス人は、日曜には深酒をし、月曜日は休むという聖月曜日と呼ばれる習慣があったそうだ。ほかの曜日にかんしても、結構ダラダラ働いていたようである。それが、産業革命によって、朝は決まった時間から働き、夜も決まった時間まで、しかも次の朝は早いという生活を送るようになった。現代の労働形態も、産業革命によって作られたと言ってもいいのではないだろうか。

さらに、イギリス人にはもともと朝食の習慣がなかったらしいのだ。イギリス人はもともと一日二食だった。一日三食食べるようになったのは17世紀中頃らしい。要するに現代の人間の「正しい」と言われる生活習慣でさえ、実は普遍的に正しかったものではなくて、近代になって生み出された新しい価値観だったのだ。

僕はこういう歴史の本を読むたびに、現代人が盲目的に正しいと信じているものは案外〈つくられたもの〉であって、未来永劫それが正しいと言われつづけることもないんだなとつねづね思う。現代の労働環境だって、所詮は近代人が作り出した「世界システム」発展のための道具にすぎない。世界システムの発展はたしかに人類の発展をもたらしたかもしれないが、どこに貢献していたのかは十分ん見定めておかないと、くだらないことで自分の身を滅ぼすことになるかもしれないとさえ思う。

でも、難しい点がある。それは、それでも近代の価値観——たとえば、朝は9時に出社して規則正しく働き、朝食はきちんと食べ、三食きっちり摂る。恋愛をして結婚をしていい旦那あるいは女房と共同生活を送る、「自由」、「平等」等——によって人類が発展してきたという事実だ。産業革命を経て、世界全体のGDPは比べ物にならないほど伸びた。今こうして我々が飢え死にすることなく、病気で生涯を閉じられるようになったのも、近代の新しい価値観のおかげなのだ。

一方で、近代の価値観に苦しめられている人もいる(”全員じゃないけど”)。代表的なのはサラリーマンだろう。みんな、朝が辛いのは産業革命のせいなのだ。酒に飲んだくれると怒られるのも、産業革命のせい。ついでにいうと、イギリスの飯がまずいのは産業革命でまともに調理する時間がなくなったからだと言われる。産業革命は、たしかに人類に発展をもたらしたが、一方で人類から大事なものを奪っていったのも事実だ。

だから、近代の価値観を諸手をあげて「正しい」と賞賛することはできない。

さらに話はそれるが、この話は、突き詰めると哲学的な「ある思想が正しいとはどういうことか?」という話に行き着く。これは結構難しい。この問いをさらに突き詰めると、「時代が変わっても普遍的にだれにとっても正しい思想はあるのか?」という問いに行き着く。これは最終的には、「客観的なものは存在するか?」という古来からの哲学議論に行き着くだろう。

この問いに答えるのは難しい。僕自身は、一番賢い姿勢は「うまいこと使い分ける」だと思う。今の日本の政治家のように、かつての近代の価値観だったGDP志向主義にすがりついていては、時代の流れに置いていかれる。たしかに近代の新しい価値観は人類を発展させた。だが、今後も発展させてくれる保証はないのだ。次の新しい価値観を時代は必要としている。

そんなことを考えさせてくれる本書はやはり、いい世界史入門の本だと思う。

知の教科書 ウォーラーステイン (講談社選書メチエ)

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「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)

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