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気まぐれに書評とか。

なぜサラリーマンの目は死んでいるのか

来年就職予定の大学生が議論を呼びそうな記事を書いています。私も、ついこの間まで大学生だったので、同世代として少しコメントしてみようかと思います。

私は今新卒1年目で、金融系IT会社で働いています。そのなかで、銀行のリスク管理に関係するシステムの開発をするプロジェクトに入れてもらっています。なお、今日書く話は、会社のなかの特定の話題を批判するようなことではない、一般論だということをあらかじめ了承していただきたいです。。[*1]

さて、元ネタとなった記事はこちら。

yuma1102eff.hatenablog.com

内容をまとめてそれに対して建設的な批判を加えるのがとても面倒なので、気になった話題についてすこしコメントしていく形式をとろうかと思います。これが、意識高い学生だったけど比較的堅実に仕事をする会社に入った社会人の一意見です。

ネガティブな話でよく聞くのは 「世の中そんなに甘くない」「仕事は大変だ」 「初めからこうなりたいと思っていたわけではない」ということだ。

「初めから~」はの話は興味深い。 今、自分がこうなるのは嫌だ、と思っている人も昔は自分と同じように社会人生活に希望を持っていたということだからだ。 元々嫌々働き始める人がいるのも間違いないが、希望を持っていた人が夢破れていくのはどういう理由からなのだろう。

「世の中そんなに甘くない」というのはほんとうにそうです。私もアルバイトやNPO活動等で、マネジメントや自分自身のスキルについては結構自信をもった状態で入社しました。

が、実態としては正直社会人2年目くらいの人とは雲泥の差があります。大学に通いながら片手間でやっていた自分と、2年間休日をのぞいてほぼ毎日仕事で真剣勝負していた人とでは、実力の「実」の部分に大きな違いがあります。先輩は手強いですよ。そして、自分がこれまで培ったスキルは思いのほか役に立たない。すべてをゼロにする気持ちで入社すべきです。変なプライドは捨てるべき。

「仕事は大変だ」については、それは大変でしょうね。社会人になると自分の仕事に責任が伴ってきます。あなたの仕事の期限が少しでも遅れた場合は、周りの人に迷惑をかけることだってあります。あなたの上司は、新人のあなたのリスクヘッジを裏で必死にしなければなりません。できれば新人のあなたに気づかれないように、です。そういう意味で、「仕事」の意味合いが、アルバイトや学生団体のころとはずいぶん変わってきます。新人のうちは辛いものです。要領も悪いし、能力もないですからね。

さて、上2つとは毛色の違う愚痴があります。上2つは親父の小言としてよく言われる話なので、まあ聞いたことのある人も多いでしょう。しかし、次の愚痴は違う。

「はじめからこうなりたいと思っていたわけではない」。これについて、私は最近このことを口にする人が多いと思っています。そして、これが一番問題だと思っている。

「はじめからこうなりたいと思っていたわけではない」と考えているということは、「こうなりたい」という目標があったはずです。しかし私は、この「目標」の部分が問題だと思っています。

就職活動をして思ったことなんですが、みんな「キレイゴト」を語りすぎています。企業のキャッチーなフレーズって、中身がなくてほんとくだらないものばかりです。とくに、ITベンチャー系を受けたときは幻滅しました。うんざりしたので、お堅めで仕事状況のリアリティを真摯に伝えてくる今の会社に決めたという経緯があります。

「キレイゴト」の中心は、「夢」とか「希望」とか、あとは「生き生きと」「やりがい」とか、そういったワードです。「イノベーション」とかもそうですよね。まあ、そんなところです。

具体的な例で行けば、就活生向けの採用サイトを見るといっぱい出てくるワードたちが、いわゆる「キレイゴト」です。こういった言葉は、多くの場合学生に、仕事をする上では夢や希望、目標を持ちながら働くことが重要であり、当社ではそれが可能です!ということを言っているにすぎません。

しかも大学生はそのキーワードにわりとまんまとだまされ、仕事にたいする夢や希望、さらにはイキイキと働く自分というイメージを増幅させます。そしていざ入社した時、思った以上に夢や希望を持ちながら現場で働いている社員がすくないことに、幻滅していくのだと思います。もちろんすべての会社がそうではありませんけど。

で、なぜ大学生がこれらの「キレイゴト」キーワードにまんまとだまされてしまうかというと、今の世代の人って、しきりに小学校・中学校・高校で「夢」とか「希望」を持つことの重要性を叩き込まれているからだと思うんですよね。受験とか、進路決定とか、道徳の授業とか、ことあるごとに人生計画みたいなものをたてさせられる。そこには、「将来どういう仕事について」「年収はどれくらいで」——だから、こういう仕事につくためにはこの大学に行く必要がある、そういうことが書かれている。

でも、これってキモいと率直に思いませんか。はっきりいって、誰かに管理されたSF社会としか私には思えないんですね。働き始めてから夢や目標を持てない自分はだめなのか?という気持ちを増幅させる装置になっている。実際はそんなことはないんですけどね。

もちろん、この考え方に対しては次の反論もあり得ます。「夢」や「希望」を若い人が抱いたとしても、若い人がそれを実現できない社会が問題なんだ、と。まあそうなんですけどね。でも、社会ってそうは言っても簡単には変えられないですよね。

そもそも、江戸時代より前の人はたぶん、階級制で夢とか希望とか考えずに済んでいたかと思います。が、明治になって、近代の二大価値観である「自由」と「平等」なる言葉が入ってきてしまった。この辺りから、徐々に社会システムは変化してきているのですから、現代はその過渡期として見るほかないと思うんですよ。

私たち若い世代は、結局のところ多くを望みすぎているだけかもしれません。本来人間は、飯を食えて子どもを養えるだけの収入があり、そのお金で実際に飯を食え、子どもを養えていれば万々歳だったはずです。ああでも最近は、それすらままならない人も徐々に増えてきている。これが成熟社会と言われる日本の病理なのかもしれません。でも、大多数の大学生はそんなことないですよね。みんななんだかんだ大学に通えるくらいの裕福な家に育っていると思うんです。

多くのことを望みすぎてしまって、それが思った以上に実現できないからこそ、夢破れてサラリーマンの目は死んでいくのではないでしょうか。というか9割、若者は多くを望みすぎています。be ambitiousなのが若者の特権かもしれませんけど、「望んだことの大半はかなわないけどね」くらいの気持ちでいられないと死んじゃいます。

ただ、ひとつ強調したいことは、満員電車でサラリーマンの目が死んでいるのは当たり前です。第一に、眠い。第二に、人が多すぎて辛い。この2つで死んでるんです。かならずしも、仕事が楽しくないから死んでるわけではないと思います。満員電車の外で死んでる目の人にあったら、すこし声をかけてあげてください。

人によって、人生における仕事の優先順位がまったく異なることも、理解してあげて欲しいです。子どもの顔が見たくて仕方ないパパだって、結構いますから。子どもに会いたいばかりに、「仕事よ早く終われ」と念じつづけることを、私は悪いこととは思いませんけどね。それぞれの人にはそれぞれの人生があるのですから、むしろその人の仕事に対する態度を尊重してあげられる上司になったら、いいんじゃないでしょうか。

なんてとりとめもない話を考えました。来年から働き始める皆さん、こうは書きましたがそれでも仕事は楽しいですよ。がんばってください。

*1:こう書くと、これだから銀行系は・・・とか言われそうですが。リスク管理関連してるので職業柄リスクヘッジしてしまうんですよね。