世界史の大多数は、実は疫病で決まってきた
何が歴史を決めるのかというのは、歴史を勉強する人にとっては非常に気になるテーマだ。歴史は何によって決まるのか。歴史はどのようにして動くのだろうか。真因を発見することは、おそらく歴史学者たちのひとつの夢ではないだろうか。
- 作者: ウィリアム・H.マクニール,William H. McNeill,佐々木昭夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/12
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『疫病と世界史』では、歴史の決定要因は疫病にある、という。さまざまな帝国は疫病によって滅びた——たとえば、元帝国などはいい例だろう、その頃はペストが大流行していたから。また、キリスト教やイスラム教などは疫病の大流行によって希望の持てなくなった人々の心のよりどころとなっていたという考え方もできる。
筆者は本書の最後にこういう。
過去に何があったかだけでなく、未来には何があるのかを考えようとするときには常に、感染症の果たす役割を無視することは決してできない。相違と知識と組織がいかに進歩しようとも、寄生する形の生物の侵入に対して人類がきわめて脆弱な存在であると言う事実は、覆い隠せるものではない。人類の出現以前から存在した感染症は、人類と同じだけ生き続けるに違いない。そしてその間、これまでもずっとそうであったように、人類の歴史の基本的なパラメータであり、決定要因でありつづけるだろう。(太字は私)
疫病は、社会構造そのものや文化そのものも変えてしまう力を持つことが、本書を読むことでわかる。ペストの流行は社会構造と文化を変えてしまったいい例である。疫病によって文化を担っていた人材が亡くなる。そうすると当然、文化の担い手がいなくなるので文化も変容せざるを得ない。
よく、文化は文化そのもので変化してきたと論じられることがある。文化は人類が作り上げたものだから、人間が手出しすることで崩壊を防ぐことができると考えられがちだ。いい例が言語政策などだろう。だが、文化は環境要因、あるいは外的要因によって決まる。それはペストの流行によってヨーロッパが新時代に突入していくことからもわかる。
また、疫病がほかの民族への侵略を手助けしたり、あるいはそれを妨げたりする例もある。民族への侵略を手助けした例で有名なのが、中南米を征服したスペインだ。よく、スペインの軍事力が強いとか、あるいは白人だったから神様に見え、現地人が警戒心を持たず、虐殺されたという説明がなされる。しかし、スペインが新大陸を侵略できた主要因は疫病にあった。
疫病は、人が密集しているところでよく感染する。またヨーロッパと新大陸とでは、流行していた疫病の分布が異なっている。それに加え、ヨーロッパでは新大陸よりも数多くの人がいたし、それゆえに数多くの疫病が発生していた。だから、スペイン人は少し新大陸の人たちよりも抵抗力が強かった。これらが相まって、新大陸はスペインの侵攻後疫病に見舞われることになる。これが原因で、新大陸の人口は3分の1まで激減したとも言われる。
疫病がほかの民族の侵略を妨げた例は、インドやアフリカに見られるのだそうだ。北から南に侵略する際、どうしても南の方が生態系が豊かなため、それだけ豊かな疫病の土壌を持っている。南の方が、圧倒的に疫病の種類が多く、強力なのだ。それゆえ、進行するたびに疫病に見舞われることになる。結果的に、南に南に住んでいた住人は、疫病が天然の防波堤となって侵略を免れることができた。こんな例もある。
これらの事実は、私たちに発想の転換をもたらしてくれる。今でも歴史の教科書には戦勝者の歴史しか載っていない。つまり、ナポレオンがいたからこの戦争には勝てた、だとか、ピサロがいたからここを侵略することができた、だとかいう例だ。確かに、彼ら偉人たちの働きは勝利に少しだけ影響したかもしれない。だが、大多数は環境要因あるいは外的要因によるラッキーだった、ということがこの本を読むとよくわかる。
日本だって、そうかもしれない。日本は外界を海に囲まれていたから、独自の文化を育むことができた。だが、陸続きだったらどうなっていたかはわからない。温暖な気候はよくもてはやされるが、それだけ疫病の天然防波堤がないということもできる。歴史にイフはないけれど、このような視点から鑑みるに、別に先人ががんばったから、日本の国土を守れたとか、そういう話は少し傲り高ぶっていると勘づくのではないだろうか。
現代の日本はそういった風潮が強くなりつつあるから、今一度この本を読んで、日本は地政学的にラッキーに恵まれただけにすぎないという謙虚な気持ちを取り戻してみるのも悪くないと思う。