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気まぐれに書評とか。

大前研一の『稼ぐ力』

マッキンゼー大前研一さんが書いた本を読んだ。『日本の論点2015』も読みたいので、ぜひどなたかブックオフに流していただければと思う。

本書を読むと、最初の方でなぜ大企業の経営者がなぜ内輪もめをしているかという話がでてくる。これ、先日の大塚家具の騒動とまったく同じ状況ではと思う。なぜ内輪もめをしてしまうかというと、カリスマがずっと社長をしていたが、退任後はしばらく空位となってしまうからだ。空位となったところに新たなカリスマが即位するのが理想ではあるけれど、しかし、日本企業の管理職級というのはどんぐりの背比べ状態で、カリスマが存在しないのだそうだ。ゆえに、内輪もめが勃発してしまうと分析する。

日本企業の多くが抱えている問題は今、後継者問題なのだという。これは、ファーストリテイリングソフトバンクにも当てはまる。それゆえ、孫社長は「ソフトバンクアカデミー」を開講し、孫正義2.0を育成しようと躍起になっている。

ではなぜ、日本で後継者にふさわしいリーダーが生まれないのだろうか。これの根本原因は、本書の最後に出てくる「偏差値教育」にあると思った。そもそも偏差値というのがなぜ存在しているかというと、画一的な人材を育成するために存在しているのだ。たくさんの個性を持つ子供たちを「偏差値」という基準に当てはめて、同じくらいの偏差値の子供は同じくらいにみなしてしまう。偏差値55とくくられた瞬間に、ピアノが得意とか書道がむちゃくちゃうまいとか、ダンスで全国1位といった個性が、ことごとく消えてしまうのだ。ゆえに、画一的な人材しか生まれず、リーダーもしたがって生まれない。

大前氏は最後に偏差値教育の問題点を、「途中であきらめて大志や気概を抱かなくなること」「ある程度の偏差値をとると、その後努力しなくなること」とする。これは私も同感だ。私は中途半端な偏差値の国立大学にいた。入学してから「うちは難関大学だよ」といわれてはじめて知ったのだが、難関大学だったそうだ。1年の頃は、みんな「あれをやりたい」「これをやりたい」といろいろいっていたことを覚えている。しかし、学年があがるにつれて、だんだん全然気概とか目標とかを持たなくなり、結果として努力をしなくなる人たちが増えていった覚えがある。これはなぜか?現状に満足してしまったからだろう。「○○大学の人は優秀」と、バイト先や周囲の社会人などから吹き込まれ、満足してしまうパターンは、往々にしてあり得た。

ところで、ここでよく日本の就職活動がやり玉にあげられるわけだが、私は日本の就職活動に問題があるからリーダーが生まれないという因果関係はすこし浅いと思う。むしろ、もっと根本的なところに原因がある。物事を自分の頭で考えられる教育を受けていない大学生が就職活動を行ってしまうから、レールに乗るような感じに就職活動を行ってしまう。それゆえ、何百社もエントリーすることになってしまうし、戦略なき就職活動を行って撃沈してしまうのだ。就職活動のシステムに問題がないとはいわないが、就職活動のせいでリーダーが生まれないというのは少し論点がズレている気がしている。

この本を読むと、新聞などで論じられている因果関係がいかに表面的なものかを思い知らされる。そして、大前氏の本質を見抜く力に感嘆する。私もこういうコンサルタントになりたいものだと思う。これからも、大前氏の著作は読むのをやめられない。