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気まぐれに書評とか。

生きる意味について

これは、友人にはまったく理解してもらえなかった考え方。

「生きる意味を考えることに意味はないのだ。」

哲学的に小難しく言い換えるとこうなるだろうか。 「世界に意味はない。世界に意味がないということは、世界内に存在する〈存在〉にも意味が存在しない。生きる意味というのは世界内の〈存在〉だ。ゆえに、生きる意味に意味はない」

この話をすると、結構高確率で反発を食らう。別に想定済みだし理解してもらおうとも思っていないが。

生きる意味がある、と思う人に問いたいのは、人間の「生きる意味」って共通だったっけという点と、生きる意味というのは人間がこの世に存在する前から存在するものだっけ、という点。この両方を満たせないと、そもそも「生きる意味の存在条件」を満たせないと思うのだ。

この点を理解できる人は、なかなかいないと思う。そこまで人は考えないからだ。

生きる意味がないとしても、それでも人間は生きることをしなければならないし、生きることを求める。そのために何が必要か。より充実した人生に重要なのは、どういった点だろうか。

それは、「いかに生きるか」を考えることだ。

これは生きる意味を考えることに近いようで少し違う。生きる意味というとどうしても漠然としたものになりがちで、「人を幸せにしたい」をはじめとする願望で終わることが多い。しかし、「どのように生きるか」を問うことは、人を受け身から積極的な存在へと変える。「人を幸せにするために生きる」と、答えが変わる。

そして私たちは、この「いかに生きるか」を自分自身で選ばなくてはならない。

だが、このことを放棄していると感じられる人は結構多い。

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)