multiplus

気まぐれに書評とか。

物事をよく考えない人は、嫌いだ

 哲学者中島義道の『私の嫌いな10の人びと』を読みました。「嫌い」というと、日本人には(とくに若い人には)刺激が強すぎるかもしれないです。ただ、実際に読んでみると「いるいる、こういう人」という気持ちにもまたなるでしょう。自分の身の処し方を考えなおす一冊として、オススメできると私は思います。

 本の帯にある「『いい人』の鈍感さが我慢できない」という一文。これは妙に納得できる。いい人の鈍感さとはどういうことでしょうか。多分、鈍感というのは「自分が常識の檻に囚われていることに気づくことのない薄い思考力と感受性しか持ち合わせていない」くらいの意味だと思われます。あとがきにはこんな文章もあります。

私は、本書ではむしろ、大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。それは、さしあたり物事をよく感じない人、よく考えない人ということができましょう。

 この本は、とにかく新興宗教のようなキモチワルサを持った現代日本人に特徴的なタイプを徹底的にバッサリ斬り捨てます。「笑顔の絶えない人」「常に感謝の気持ちを忘れない人」…「物事をはっきり言わない人」「おれ、バカだから」という人、「わが人生に悔いはない」と思っている人、など。

 でも、だからどうしろ、という類の本でもありません。中島さんの持論を延々と聞かされている感じになります。ただ、それが皮肉に富んでいておもしろいんですね。たとえば、こんな一節などはすごく面白かった。

生きることは苦しいに決まっているのですから、もしわれわれが「人生とは何か?」を真剣に問うなら、自分の苦しかった体験を思い出し、それを牛のように何度も反芻して「味わう」ほかない。厭なことは細大漏らさず憶えておいて、それをありとあらゆる角度から点検、吟味する。すると、その後の人生において降りかかる数々の苦しみにも比較的容易に耐えられるというわけです。

 これは「いつも前向きに生きている人」というテーマに添えて書かれたものです。「生きることは苦しい」という現実から目をそらすために、人はさまざまな努力をします。著作の中に出てくる言葉を引用しつつ、そのムダさを表現するならば、「生きることは苦しいのに、人はがんばる、どうせ死んでしまうのに」。ものすごく後ろめたいですね。さすがにここまで言い切れる自信は私にはないですが。

結構こういう人、周りにいないだろうか?

 残念ながら、私の狭い人間関係でさえそのことが感じられます。「みんなの喜ぶ顔が好き」とか、「常に感謝の気持ちを忘れない」とか、ウソだろと思っています。おそらくそんなものは、タテマエ。ホンネは違うんじゃないかと。ただ、そういうポーズを取ると、世間にウケがいいことを本能的に知っているから、そうしているだけにすぎないことが多いです。周りからの自己評価を上げるためのパフォーマンスをしているにすぎないのです。

 こういう「みんなの〜」とか「常に〜」とか言っちゃういい人のどこがキモチワルイかというと、おそらく、口に出さなくてもいいのに自分から言っちゃうところにあると思うんですよね。常に感謝の気持ちを忘れないとか、そんなことは自分の内面にしまっておけばよろしい。何も他人に強要するものでもないし、自分が常日頃そうしていることをアピールする必要もない。強いて言えば、他人に強要するのであれば自分の言葉で書き換えて、説得力のある理由とともに語れば、必要性を感じてやるようになるかもしれません。しかし、受け売りを横流しするのであれば百害あって一利ないです。

 その点をわかってない「いい人」が多すぎて、彼らが思考停止状態になっているというのは正直否めませんね。他人の言葉をかりてしゃべるのは成長の第一段階ではありますが、その段階を早く突破できるよう、自分で常に思考することを忘れないでいたいものです。

 で、最後に。「いい人」がこの本を読むとどういう反応をするか。それは「こういう価値観もあるよね〜」でしょうね。彼らは思考停止していてなおかつ感受性も低い。したがって、真剣に受け止めているパフォーマンスをしつつ、周囲からの自己評価をあげるために寛大さを披露するパフォーマンスを取ると予想します。

 しかし、「そういう価値観」の「価値観」ということばがワナで、これが思考停止ワードなんですね。あらゆる思想を「価値観」で済ませてそれと向き合わないのは、生きる上で一番よろしくない態度ではないかと思います。

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)

 

 

広告を非表示にする