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気まぐれに書評とか。

「定量的に把握せよ」といわれるけれど

 定量的に把握せよ、というのはちょっとでもまともな職場で働いたら頻繁に口にする(される)ことかと思われます。どういうことかというと、「あとちょっと」とか「すこし」とか、そういう表現をやめて、「あと○件」「○%オーバー」など、数字を使って具体的な表現を心がけることをいいます。

 定量的に把握することの何がよいかというと、やはり把握力がまずあがるという点です。つまり、数字にするから残りどのくらいギャップがあるのか「掴む」ことができる。これって経営において非常に重要で、現場を「掴めている」かどうかで、組織が傾くかどうか決まってしまう面があると思っています。実際にそういう経験も何度かしました。

 また、ギャップを定量的に把握することができれば、「目標達成」もよりしやすくなります。なぜかというと、PDCAサイクルを回しやすくなるからです。とくにCheckとActの部分が非常に円滑に回るようになります。ギャップ認識できていないと、適切なCheckとActを打つことができなくなるので、次のPlanにつながらないという現象が起きます。

 PDCAの要諦は一体どこにあるかというと、個人的にはPlanの部分にあると思っていて、的確なPlan=計画=仮説を立てることができれば、PDCAサイクルはほぼ回ったようなものです。しかし、的確なPlanが立っていない場合、Checkを上手にできなくなり、さらにはActも難しくなります。

 では、Planが的確でない状態というのは何かというと、それはPlanに数値が盛り込まれていないこと、ということになるでしょう。「我が社はさらなる営業部の事業拡大を目論んでいる」と経営計画を立てたとして、そこから何がうまれるでしょうか。 

 本書では、数値化について以下の様な指摘をしています。

数値化するとは、物事の究極的な具体化です。そして、何であれ、 具体化されたことしか実行されません。

定量化で生まれる思わぬ副産物

 さらにいうと、私は数値化には思わぬ副次的効果もあると思っています。それは、その数値の生み出される方程式まで掘り下げて考えるようになる可能性がある、ということです。つまり、その数字を生み出すロジックにまで思いが及ぶようになるということです。

 今、Facebookページの運用を巡って数値を追うということを行っています。ひとつの記事を書くたびに「○○○views」という結果が現れます。つまり、どれだけの人がその記事を読んでくれたかを数値で教えてくれている典型例です。500view、2000viewなどさまざま結果に現れます。

 そこで考えるのは、たとえばその日の記事が2000viewだったとして、ではその2000viewは一体どうやって決まっているのか?ということ。世の中の物事には必ず原因が存在していますから(決定論的立場といいます)、それを追究するわけですね。

  ちなみに、「2000view」はおそらく以下の要因で決まっています。それは、「Facebookページに投稿された記事の【続きを読む】を押した人の人数」と「いいね!やシェアによって拡散された数」とを乗じたものだと推測しています。ここまで分解できれば、viewを伸ばすには、「続きを読むを押させる」か「いいね!とシェアを増やす」の二択しかないことがわかります。

 では、続きを押させるにはどうすればよいでしょうか?それは、続きを読むまでの文章をキャッチーなものにするということがひとつでしょうね。もうひとつは、添付される写真をよりインパクトの強いものにする。すなわち、クリック前のファーストビューの勝負がまずある、ということです。そしてこれは、view数の主要な決定要因ではないかと思われます。

 ところで、いいね!やシェアはなぜviewをあげる要因になるのでしょうか?それは、見てくれる人びとの母数を増やすことにつながるという点で、view数を増やす要因になっています。いいね!とシェアの拡散効果は、そのまま母体数を増やすことになりますね。

 というように、定量的に考えることは、その数字の裏側に隠れているロジックを追求しようという姿勢に繋がります。これは本書では指摘されていなかったような気がしますが、数値化の思わぬ副産物なのではないでしょうか。 

 因数分解をしっかりヌケモレなくできるようになれば、コンサル会社のケース面接は結構楽に突破できます。多分。

 補足なんですが、上のFacebookページの記事view数を決める方程式には、若干のヌケがあります。それはなんでしょうか。またぜひ、考えてみてくださいね。