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気まぐれに書評とか。

先週読んだ本

 なかなかバタバタしていて書けなかったが、先週は3冊ほど本を読んだのでご紹介します。最近、自分の感受性がすたれているような感じがして、ちょっと文学を読み始めています。

  1. 『雲』
  2. 『人間とはなにか』
  3. アンティゴネー』

アリストファネス『雲』

 アリストファネスをご存知の方は多いかと思います。しかし、この『雲』という作品をご存知の方はなかなかすくないはずです。私も、ギリシャ哲学の授業で教授がポロッと口にしていたのを気にかけていて、ずっと読みたいなと思っていたら、つい先日やっと読めたという次第です。

 借金取りに弁論術で対応するため、あるおじいさんが自分の息子に、ソクラテスの運営するアカデミアへの入学をさせようとします。しかし息子の反抗にあい、まずは自分が入ることにしました。その後、息子も入学することになります。

 そのアカデミアでは、弁論術、つまり相手を言い負かして自分の欲求を押し通すすべを学ぶことになります(本当の弁論術は決してそのようなものではないですが)。二人はどんどん屁理屈をつける力を身につけます。

 そして実際に、おじいさんの方は、見事に借金取りを追い返せるようになっていました。もちろん、その追い返し方というのは人に悪態をつくようなもので、けっして褒められるやり方でないことは、本書を読むとわかります。

 ですが、すこしずつ物語に歪が生じてくるんですね。ここからがおもしろいのですが、息子がなんと、いうことを聞かなくなるんです。息子はなにかと屁理屈をいって、父親を殴るようになる。おじいさんはそこではじめて、弁論術を身につけさせたことを後悔します。

 弁論術や相手を打ち負かす術、論理学などは、身に付けるとたしかによいことも多いです。しかし、人として正しくある、という根本の部分を忘れるととても痛い目にあいます。それを教えてくれる作品でした。

 余談ですが、これは喜劇です。しかし、以前読んだアリストテレスの『詩学』にも載っていた、いわゆるどんでん返し的な展開は共通しているなと感じました。

マーク・トウェイン『人間とは何か』

 人間は機械だ、という極論からはじまる一冊。最初読んだとき、現代の読者は、語り手の「老人」の論のあまりの古臭さにあきれるかもしれません。しかし、当時1890年代という時代状況を考えてみてください。ときはまだ、二元論的な時代だったはずです。

 人間に自由意志などなく、すべては外圧によって決まるといいきるのはなかなか痛快でした。そして何かを成すとき、その欲求の根源はすべて、自己満足にあるのだという「老人」の議論には納得せざるを得ません。

 人のために尽くすというのは、究極的には自分の満足感を満たすものでしかないといいます。それはたしかにその通りです。結局、「人に尽くしてる自分カッケー」以外の何者でもなかったりします。ボランティアなどに疑問を感じている人にはぜひ読んでもらいたい。

 最後に、示唆に富んだこの一節を。

よい意味での教育――つまり、その最上、至高の機能ってのはだな、それが教え子に対してある満足感をあたえるたびに、ついでに第二次的じゃあるが、まわりのほかのものに対してもまた、ある種のとき効果を及ぼすという、まさにその点にあるんだからね。

ソポクレースアンティゴネー』

 つい最近新訳がでていて、しかもこれが以前の訳のものよりも数段読みやすくなっています。以前のものは、文章としてもはや原型をとどめておらず、とても読めたものではなかったです。しかし、新訳になってやっと、いわんとすることがわかってきました。

 この本については、『オイディプス王』をまず読んでいることが前提となります。その上で、ギリシャ神話に対する素養も多少必要になってくるでしょう。その前提を満たした上で読むと、非常におもしろいです。

 とくに、神話に込められた「示唆」を感じることのできる点がおもしろい。古代ギリシャ人、あるいはアリストテレスなどは「賢慮」を求めるわけですが、なぜ賢慮が必要なのか。それを物語は端的に教えてくれます。

 この物語は、近親相姦の過ちを犯し、自ら目を潰したことで有名なオイディプスの死体を埋葬してはならないという国の禁忌を犯した、オイディプスの娘「アンティゴネー」が、クレオーンに見つかり、バツを受けるというような流れになっています。

 この物語が伝えたいことは、以下のセリフに集約されていると思います。

この世では、思慮を欠くということが、どれほど大きな禍いか

次は、コロノスのオイディプスでも読もうかと思いました。ギリシャ悲劇もおもしろいですよ。 

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