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気まぐれに書評とか。

日本の労働問題は深刻である―『15歳からの労働組合入門』

15歳からの労働組合入門

15歳からの労働組合入門

 

  日本の労働問題について扱った一冊で、さまざまな立場の人たちが登場し、労働組合を結成して企業と闘う。そのルポルタージュです。

 非常に細かい処まで綿密に再現されており、まるで小説を読むかのようにありありとインタビューの場面が浮かんできました。しかし同時に、インタビュー対象者の人生をもっと知りたいという思いにも駆られました。そのことについては、この記事の後半に書きました。

 「労働組合入門」という本ですが、決して労働組合を作るためのハウツー本などではなく、むしろ労働組合を組んで結果どうなったかを淡々と伝える、「労働組合啓発本」という印象を受けました。

 私も労働組合についてはあまり詳しくなく、実態がどういうものかさっぱり知りませんでした。なので本書は、いい勉強になりました。

 どの労働組合にも共通していたことは、「仲間で対抗しなければ企業には対抗できない」、いいかえれば一人では何もできないという点でした。この残酷な現実と日々、労働者は闘っているのだと思います。

日本の労働問題は深刻である

 日本の労働問題は深刻だと思います。私が思想的には中道左派と呼ばれる部類に分類されるような人間だからそう感じるのかもしれません。しかし、本書を読んで少し考えてみれば、多少なりとも日本の労働システムに問題があることは、普通の人でもわかるはず。

 どう深刻かというと、それは「再起不能な社会」だからです。失職した瞬間、一気に自分を守るものがなくなってしまう。それは住宅であったり、賃金であったり、そして何より、人と人とのつながり――社会学ではそれを、社会的資本と呼びます。そういったものが、一気になくなるのです。

 とくに、非正規労働者の一番の問題は、こうした社会的資本の喪失です。なぜ社会的資本がなくなってしまうかというと、彼らは職場以外の人間関係をもっていないからです。仕事が忙しすぎて、職場の外に人と人とのつながりを作っている余裕がないのです。しかも、地域社会の連帯はますます緩くなるばかり。これでは、孤立する労働者が続出します。

 行き着く先は、孤立死やホームレスの増加です。

 ただ一方で日本のこうした労働問題を考えるにあたって当たる壁として、「どこまでが自己責任なのか」という問題があると私は思います。これは、日本社会では常に議論の的となるもので、一向に解決が見えていません。

 ホームレス等の弱者に対しては、必ず「自己責任じゃないの?」「努力不足では?」という指摘が飛んでくるものです。事実私も、そう思わざるを得ない事例はそれなりにあると思います。たとえば、奨学金の返済不能問題などはその典型例だと思っています。

 この本に対する唯一の不満として考えられたのは、「取り上げられている人たちの人生をもう少し深く遡らないと、自己責任なのかそうでないのか見えてこない」という点でした。ルポルタージュを作るのであれば、その点は真剣に検討する必要があったと思います。もう少し根掘り葉掘り聞かないと、根本の解決は見えてこないと思う。

 多くの人は当然、努力をしない人間に自分たちの税金を再分配しようなどとは思いません。最大限の努力をした人間であれば賛辞を送りますが、サボっている人間に対して賛辞を送ろうとは思わないことは、人としての性でしょう。したがって人は、弱者を見てどうしても「自己責任である」といいたくなるのです。自分も十分頑張っている(と思っている)のに、なんでこいつらのためにカネをやらなあかんのだ、と。

 しかし私たちは次のことに自覚的でなければなりません。それは、これは解けない問いであるということです。どういうことか。

 「自分もがんばっている」と思っている人たちが、いつ「がんばれなくなる」かは不確定だからです。努力ができなくなる瞬間は突然にやってきます。ある日痴漢の冤罪で逮捕されてしまえば、それでおしまいです。社会に復帰したとしても、何も残ってないわけですから、努力したとしてももう取り返せません。

 また、努力ができるかどうかは過去の成功体験や家庭環境など、非常に複雑な要因がからみ合って決定される事項のように思います。ひとつの枠組みの中に入れ込んで考えられる問題ではないのです。そこには、正解も不正解もありません。

 したがって、自己責任かどうかはグレーの決着を目指すべきなのです。しかしどうしても日本社会では、「自己責任論」が強くでてしまう傾向にあるのではないでしょうか。

 「自己責任」論法の怖いところは、「常に全力を出し続ける」ことを「全員に望んでしまう」ところにあると思います。いうなれば、社会の構成員全員が「全力でモーターを回し続けなければならない」社会が、自己責任に拍車のかかった行き着く先にあります。

 人間はロボットではないのですから、休みをとった瞬間に奈落の底に突き落とされる社会というのは、大変不幸です。そして今の日本社会は、私の目にはそのようなものとして映ります。

 その点を考えた上でやはり、「自己責任かどうか」はグレーにもっていくべきであると考えます。モーターを回し続けられる人というのはほとんどいません。いたとしても、自己啓発書の中にしかいないでしょう。

 近年、若者の「ポエム化」が話題になっています。「ポエム化」とは、「夢」や「がんばろう」など、中身のない言葉をたくさん連ねて人を説得しようとする文章・言動のことをいいます。

 これはなかなか危険な傾向です。というのも、ポエムは往々にして、「夢に向かって」「努力し続ける」ことを求めるからです。そしてそれは、そのまま「自己責任論」につながってしまう可能性が高い。なぜなら、そういうポエムを信じる若者は、そのポエムをほかの人も自分と同様にできるに違いないと考えるからです。

 しかし、この気持ち悪さに気づいていない若者があまりに多い。事実、学生団体などのキャッチコピーをみていてもそうですし、学生団体に所属する人間が発するSNSでの言葉の数々も、こうしたポエムの一環です。全力でモーターを回し続けることを求めています。結果、彼らは単位を落として留年するわけですが、それはおかしな話でしょう。

 これと似たことが、日本社会のいたるところで起きているのだと思います。そしてこれは、戦時中と何ら変わらない、危険な社会情勢なのです。