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気まぐれに書評とか。

【書評】ビッグデータがビジネスを変える

昨年話題になったもののひとつに、ビッグデータがある。厳密には、ビッグデータを解析するための手法として、統計学が話題になったといえる。いずれにせよビッグデータの重要性の認知は年々高まってきており、企業としても戦略的に導入したいというのが本音のようだ。

しかし、実際にビッグデータを正しく扱える人は少ないと、『統計学は最強の学問である』でも語られていたように思う。ビッグデータを、ただ闇雲にデータを集めることと勘違いしているトップの人は結構多いようだ。しかし、それではムダに経費を使ってしまうことになるだけだ。大切なのは、ビッグデータを正しく理解することであろう。集めるだけではなく、使いこなしてこそ、はじめてビッグデータは意味をもつ。

さて、本書はビッグデータの扱い方を主眼においたものではなく、ビッグデータの活用事例を紹介した本である。私がその活用事例のなかで、とくに気になったものは3つあった。

  1. 翻訳サービスへの利用
  2. 公共インフラへの利用
  3. 教育サービスへの利用

翻訳サービスをご存知の方は多いだろう。しかし、あれがビッグデータによって成り立っている、ということまでご存知の方は、なかなか少ないだろうと思う。

たしかにいわれてみれば、言葉というのは細かく分割すると組み合わせによってできていると言える。「私」と来れば、「が」や「は」の来る確率が高いというのは容易に想像できる。間違っても、私「た」などという語が来ることはまずない。その後の語のつながり方も、ある程度まで「確率」という概念を用いて予測を立てることができる。確率に落としこむことができれば、ビッグデータ解析の出番である。なるほど、と感じる。

また、公共インフラへの利用については、これは工事タイミングを予測するために利用できるのだそうだ。振動の具合によって橋の老朽度合いがわかるから、それと過去のデータを組み合わせて解析すれば、あと何年後に改修工事を行えばよいかわかるという寸法である。

最後に、教育サービスへの応用も考えられるのだそうだ。具体的には、生徒の成績や学習状況を解析し、その子どもに適した教材を、データをもとに割り振ることができるという仕組みなのだそうである。これを使えば、将来的に教員は必要なくなるかもしれない。

ただビッグデータ関連で私が常に思うことは、ビッグデータは突き詰めればディストピア小説に描かれるような管理社会を実現してしまう可能性が高い、ということである。ビッグデータは究極なまでに効率を追求するツールであるから、効率を追求し過ぎるとどうなるかをよく考えないと、下手をすれば生きづらい社会が実現してしまうのではないだろうか。

具体的にはオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』という小説に近くなると感じる。階級ごとに必要な教育を、過去の膨大なデータを下に提供することで人類を適材適所に配置する。それは果たして本当に幸せなのだろうか。ハクスリーの小説の中では、その枠にはまり込めない人が物語を突き動かす、という展開が待っている。

データは常に人類を監視するが、肝心の人類は監視されていることに気づかない。ジェレミー・ベンサムの考案したパノプティコンが、別の形になって表れるのではないかと私は懸念する。

もちろん、膨大な過去のデータから意思決定を行うようになれば、ヒューマンエラーもかなり発生率が下がることになるから、くだらないミスは減ると考えてよいだろう。それはある意味で誰もが望むことであり、一概に悪いとは言い切れない面がある。しかしだからこそ、それが行き過ぎないよう、ビッグデータには常に疑義を呈すべきであろう。ビッグデータと倫理というテーマを取り扱った本があれば、ぜひ読んでみたい。