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気まぐれに書評とか。

センター試験の国語の平均点が低い件

もう受験は終わったので、特段気にするような話題でもない。

しかし、センター試験の国語の平均点が100点を切るのではないかというウワサが流れてきた。私は、塾で国語を教えている人間なのもあり、非常に気になったので少しコメントしておこうと思う。

古文は正直難しかった。かつてないレベルだったのではないかと個人的には思った。私が古文を不得意としていることもあるけれど、にしても、センター試験で「源氏物語」が出るというのは個人的には異常事態。あれを古文に充てる時間内(25分程度?)で解け、というのはなかなか無理難題である。

しかし、現代文に関して言えば、今年は比較的テーマがわかりやすかった。漢文の素養が近代日本において、どのような意義をもったかという話であった。13年度の小林秀雄の訳の分からない話に比べれば、ずいぶんと楽なテーマだったはずである。(東進衛星予備校の解説を読む限り、少し設問が難しかったようであるが、論説文においてはきちんと主張を”精確に”理解することができれば、設問の難易度はあまり関係がないのである。)

小説は、今年は岡本かの子であった。かの有名な岡本太郎の母である。ただ、センターの小説は、毎回奇をてらったような問題が出てくるから、正直なところ運勝負な感も否めない。今年も例外なくそうであったと思う。ただ私自身は、少々簡単だったなという印象を持った。

漢文は、要するに荘子に出てくる「無用の用」の話で、荘子は高校漢文でもきちんと教えられている項目のはずである。しかし、国語の授業をまともに聞かなかった受験生は苦戦したことだろうと考える。

例年のセンターの傾向からいくと、古文は毎年難易度が高い。したがって、古文が最も点数の低い科目となることを承知のうえで、国語の得点戦略を練る、というのがセンター試験国語対策のセオリーである。

ここから判断するに、よほど戦略を練っていなかった受験生は別として、大半の受験生にとっては、「古文が難しい」という例年どおりの問題が出たわけである。それがどうだろうか、今年は平均点がドカンと下がってしまった。一体どうしたというのだろうか。

ここで考えられうるのは、センター試験を作る側が「国語舐めんなよ」と難易度を故意にあげているか、もしくは受験生が対策を怠っているか(国語をあきらめているか)のどちらかである。

客観的にこれを判断することは難しい。国語の試験対策に割いた時間に関するデータはおそらくないだろう。また、国語は勉強した量が十分に成果に反映される教科だとはとても言いにくい面があるので、勉強量と得点率は、相関はあるかもしれないが、比例はしないだろう。現役/浪人の比率も重要だ。現役生は基本的に国語ができない。きちんと高校でセンター国語の読み方を教えられていることが少ないからである。

前者は判断が難しいが、センターは毎回、簡単すぎない良問をつくろうと努力している節が見受けられる。と同時に、難しすぎる文章を出さないように苦心して問題文を選んでいると思う。高校生でもギリギリわかるレベルの文章を選びつつも、しかしきちんと精確に読まなければ解けないような設問を作っている。私立大学の入試問題にあるような、選択肢の文と根拠文がまるっきり一緒といった○×形式に近い問題は少ない。だがこの事実は、難易度を故意に上げることとは別の次元である。良問を作ったが故に難易度が上がっているならば特段問題はないだろう。(もちろん、作問者の真意はわからない)。

しかし後者に関して言えば、私が生徒をみていて思うことは、国語を少々甘く見ているということと、単純に文章に食いついていく忍耐力がないのではないかということである。というのも、予習をさせてみると問題を雑に解いてきたり、実際に解かせると筆をとめる生徒がいるからそう思うのである。

また、うちの市の中学校に関して言えば、学校教育も国語をなめきっている。教科書の朗読をして終わりという教員もいるという話も聞く。それで本当にいいのだろうか。

国語ができないということは、文章に書かれている内容や複雑な主張を精確に紐解く力がないということだ。それは、大学で学問をする上で(特に文系)、最も必要とされている力を欠いている証なのである。そのような状態で大学に入学して、果たして意味があるのだろうか。現代の大学教育は何かと批判に晒されることが多い。たしかにそれによって教育水準が落ちている面もあるだろう。だが、学生のレベルも確実に落ちてきているのではないか。

前にNHKで、学者が「わかりやすさを求めすぎる現代人の問題」を指摘していたが、まさしくそうなのではないかと思う。そしてこの「わかりやすさを求めすぎる現代人」は、国語をなめきった学校教育が原因となって量産されている。今後ますますこういった傾向は強まるのだろう。こうして、日本人の知的体力は低下していくのだなと少し悲観的な気持ちになった出来事であった。