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気まぐれに書評とか。

【書評】『チンギス・カン』

チンギス・カンという人は、私にとってはまだまだ謎の人だ。世界史の教科書では、断然クビライの方が多く取りあげられている。チンギスに関しては、突然遊牧民の中から現れ、そのトップとして彼らをまとめあげ、強大なモンゴル帝国の基礎を作った人というイメージしかない。

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この本を読んで知ったことは、まず、チンギスはどこにでもよくいるただの遊牧民だったこと。その生活は質素だったこと。ところが、彼の人柄や人望を買われ、いつの間にかトップに擁立されていったということ。こういう人は、現代でも案外周りにも多くいる。平凡な人が突然、天から呼び出しをくらったかのように力を発揮する。これは驚くべき歴史の事実だ。

また、チンギス・カンはすばらしい戦略家でもあった。資源の重要性を熟知していた。鉄の確保がモンゴルの明暗をわけることを、直感的にわかっていたのだろう。ゆえに、彼の侵攻は鉄を中心として行われていた。鉄を運ぶためのルートを当然確保する必要があった。そのために多くのオアシス都市を征服した。

そして、無用な戦いを避けるため、抵抗した都市に対しては、周りの都市への見せしめとして徹底的な破壊行為を行った。だが、これは後世にはウケが悪く、チンギスは時に「破壊者」と評されることもある。しかし、これは偉大な戦略家ゆえの行為だったと、私は考える。

孫子』の中でも、チンギスが行ったような「戦わずして勝つ」戦争が最もよいものとされている。無用な戦いを避けるというのは、孫子によれば、それはもっとも優れた戦略だった。

孫子はいう。およそ戦争の原則としては、敵国を傷つけずにそのままで降伏させるのが上策で、敵国を討ち破って屈服させるのはそれに劣る。…こういうわけだから百たび戦闘して百たび勝利を得るというのは、最高にすぐれたものではない。戦闘しないで敵兵を屈服させるのが、最高にすぐれたことである。

(『孫子』、岩波文庫

考古学的な知見が本書にはふんだんに採り入れられているようだが、私には詳しいことはわからなかった。だが、資料や伝承を絶対視せず、ときに疑ってかかる必要があることを説いている点では、『聖書考古学』と同様であった。それはときに、現地の人と喧嘩にもなる。どこまで踏み込むかという苦悩が、本書ではすこし漏らされていた。

もっとも、そのような苦悩には筆者の強い信念が感じられる。チンギスの評価は、これまで歴史によって不当に歪められてきたし、また、ときに政治思想に駆りだされ、利用されてきた。それは戦時中の日本も例外ではない。偉大な英雄にもかかわらず、遺された資料の少なさゆえに、彼の人生はこれまであまり解明されていなかったし、理解されていなかった。それが、多くの誤解を招いてしまった。オアシス都市を徹底的に破壊し尽くした世界征服者として評価されることもあった。

だが、本当のチンギスは――筆者も言うとおり、よくいる遊牧民だった。それは彼の穏やかな顔を描いた肖像画が物語っている。