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気まぐれに書評とか。

【書評】『中国という大難』

日本では何かと批判の対象として報道されることの多い中国。もちろん、日本の報道の仕方では絶対に中国の本当の姿は見えてこない。批判によって本質的な問題点がひた隠しにされている日本のやりかたでは、間違いなく中国との付き合いはうまくいかない。

たしかに中国の政治のやりかたは、とても強引だと日本人の目には映るだろう。だが、あの政治手法は彼らにとっては正義なのである。国内に多くの矛盾をはらみつつも、常に発展し成長し続けなければ体制を維持できない中国という隣国。その隣国とどう付き合うかが、今後の日本外交の大きな課題であることはいうまでもないだろう。もっとも、多くの矛盾を国内にはらんでいるという点では、アメリカも、また日本も同様であろう。

本書は事実を淡々と伝えているため、かなり中立である。それらの事実をどう解釈するかは、読者自身に委ねられているといっても過言ではない。私が気になったのは、中国の汚職の問題だった。

まず中国の汚職の問題であるが、中国社会に賄賂や腐敗が蔓延しているというのは日本人でも比較的知られている事実だと思われる。中国の官僚は、賄賂のしかたによって自分の所得が変わるとさえいわれる。だから、官僚がせっせと汚職や賄賂に手を染めるのだ。

これについてはおそらく共産党内部も同じであろう。中国共産党の力学は、私は権力闘争にあるのではないかと思う。だから、政策も当然、誰かを蹴落とすために組まれることが多い。毛沢東でさえ、大量の人間を権力闘争によって蹴落としてきた――しかも、かなり残忍な方法で。鄧小平も、華国鋒の勢力を削ぐために徹底して改革開放路線をとったと考えられうる(私見だが)。あげたらきりがないが、彼らは国民の幸福のためというよりも、自分たちの地位のために政治を行っていると私は思っている。

だから、中国上層部にとって汚職や権力闘争はごく当たり前の慣習なのだろう。中国の歴史は長いのでこれが今にはじまったことかそうでないかは判断しかねるが、すくなくとも苛烈な内部の権力闘争は、中華人民共和国が誕生した時点での慣習だったのだ。これを日本人の目から見ると、当然悪のように映るわけだが、政権の安定を汚職や権力闘争が果たしているという見方もできるから、一概に悪と決めつけるのは難しい。中国の政権が崩壊した際にもっとも影響を受けるのは、ほかならぬ日本だからである。

そんな中国だが、近年では汚職や腐敗の蔓延を懸念する声もあるという。その原因は、ソ連の崩壊だった。ソ連は半ば、汚職と腐敗にまつわる事件によって崩壊したと考えられるからである。汚職や腐敗は、国民が共産党を見放す原因となる。いくら独裁を強いている中国共産党といえども、国民の声にはやはり逆らえないということだろう。同質で少数の国民であれば、ある程度は無視できる。しかし、これだけ大きな人口をかかえ、さらに省ごとに文化もことばも違うような中国を統治する際に、国民の声を無視することは非常にリスクなのである。

いくら中国共産党が中国式の政治をしこうとしたとしても、「誰かの支持なしに」政治を行うことは困難なのかもしれない。それを物語っていると感じた。

話が脱線してしまったが、本書は日本の感情的な報道に比べれば格段に中立で、なおかつ中国について考えるために必要な「事実」を、的確に伝えてくれていると思う。現代中国を「知る」ためには、読まずにはいられない一冊である。共感できなくてもいいから、とにかく中国社会とはどういう場所なのかを知っておく必要はあると感じる。それは、中国人留学生と接していて思うことである。今の日本人は、中国についてあまりに食わず嫌いだ。

さらに本書に加えて読むとしたら、オススメするのは毛沢東と鄧小平について扱っている伝記や歴史書である。私も今読んでいる途中なのだが、毛沢東関係ではユン・チアンの『マオ』という本がとてもオススメだ。鄧小平関係では最近出版された、エズラ・ヴォーゲルが著した『鄧小平』が話題になった。結局中国共産党は、ここに書かれているような権力闘争を中華人民共和国建国後も繰り返しているに過ぎない。体制は前進していないと私は考える。今後はおそらく現状維持の方向に向かう。ゆえに、原点となった中国共産党の幹部の生き様を知ることは、現代中国の理解のためにはさらに必須なのだと思う。

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