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気まぐれに書評とか。

風立ちぬ

賛否両論を呼ぶ映画は、率直に言って「いい映画」ではないだろうか。今年ジブリが発表した映画「風立ちぬ」は、賛否両論さまざまな意見を呼び、大きな反響を生み出している時点で至高の作品と呼んでも構わないと思う。

私は普段、ジブリは映画館に足を運んでまでは見に行かない。いわゆる「コクリコ坂」や「ポニョ」は、映画館にはみにいっていない。単純に行きたいと思わなかったからである。自分の耳に入って来なかったがために、映画のタイトルすら知らずに終わった年もあったくらいだった。

ところが、今年は少し雰囲気が違った。多くの知識人たちが珍しく「風立ちぬ」をどう見るかについて意見を書いていた。彼らひとりひとりが、自分たちの思想を背景に風立ちぬを解釈している様を見ていたら、いつの間にか自分も行きたくなっていた。

以降、映画をみた事後の感想で書きたい。なお、少し映画をみ終わったあとに評論を呼んでしまったので、多少それらの影響を受けていることはご了承願いたい。

知識人たちが映画評という話題を提供するにいたったその少なからぬ要因として考えられるのは、やはり「零戦」を扱った映画だから、つまり太平洋戦争周辺を扱った映画だからではないだろうか。日本国内でさえ戦争についてどう捉えるか未だに結論の出ていない昨今、知識人たちの苛立ちも、橋下発言を発端に表出しはじめていると私にも感じられる。宮崎駿もその一人ではないだろうか。戦争をどう解釈するかを考えなければ、次には進めない時代がやってきているとさえ私には感じられる。

それは零戦を映画中で礼賛しない姿勢にも感じられる。最後の方のシーンで、飛行機の博士(名前を忘れた)は「国を滅ぼしたのだからね」と言っている。たしかに堀越二郎はすばらしい設計師だった。当時最も美しいボディを持っていた零戦を作った人なのだから。しかし、零戦は導入当初の戦闘時、無類の強さを発揮し、敵国の兵士に「一瞬で撃墜される」と嘆かせた。敵国の兵士にも恐れられた「最凶」の兵器である。敵の兵士を大量に殺めたこと。だが結果的には零戦も敵によって攻略された弱い兵器だった。「最強」にはなれなかったのだ。そのせいで、日本国民をも危険に晒すこととなったという史実は曲げることのできない真実である。

エンジニアの倫理観育成の必要性も改めて感じされられた。好奇心で危険なものを作ることは、これは果たして正義なのだろうか。最近は科学に対する疑問も噴出している。原子力発電の問題もそうだろう。いくら、原発第4世代のようなものを作ったとしても、使うのは人間であるし、その恩恵を授かるのも人間である。生身の人間が違和感を感じるようなものをこの世界に置いておくことは、いくら経済的な合理性が担保されているとしても、果たして正面切って「正しいこと」といえるのであろうか。その点が投げかけられているように感じられもするが、おそらく私の深読みだろう。

また、堀越二郎が最後のシーンで博士と話すシーンは、上の世代の戦争に対する反省の意味も込められているのではないかと考える。尖閣諸島問題をめぐり、中国との戦争勃発の可能性が高まる中で、この映画は改めて「戦争はよくないよ」とみた者に語りかけている。そう、大切な人も国もアイデンティティも失うことになるよ、と。

ここまでが、映画をみた後に考えたことである。

では、映画の最中私は何を考えていたか。それはとても単純で、「タバコが多い」「妻が美しい、そして結核を患ってかわいそう」「堀越二郎、もうちょこっと妻のそばにいてやれよこの薄情者!」といったところだろう。

まず、映画の中のタバコが多い。タバコを催促し過ぎている。昔の倫理観でいけば、タバコを悪とはみなしていなかったのだろうし、昔の人はあのくらいタバコを吸っていたのだろうから、それを忠実に再現している点では評価したい。けれど、あそこまで必要のあったシーンなのだろうか。私には、「イライラを解消するためにタバコに走っていた」という風にしか見えなかった。それならばビールでもよいのではないだろうか。

次に、妻(ナオコ?)の結核関係なのだけれど、実は私、堀越二郎が結婚を申し込むとても素敵なシーンでトイレにいってしまったため、そこを見逃している。したがって、結核持ちだったことも当然知らないまま映画をみつづけてしまうこととなった。突然吐血してわけがわからなかったけれど、すぐに結核を持っていたのかと合点がいった。

結核は当時不治の病だった。映画や小説内で結核を患うということは、そのまま死に向かうことを意味する。堀越二郎もまた、妻の結核の事実を知り、残された時間はあまり長くないことを悟る。よくあるパターンである。

堀越二郎に関しては、少し淡白な人間だなと思う。声優も棒読み調だったのが気になったが、感情の起伏が激しくないことを強調するためにあえてそうしたのだろうか。

それはとくに周りの人間に対して顕著だったと思う。妹の来訪を何度も忘れているし、妻が病気で寝込んでいるのに寄り添わずに仕事に出かけるし、彼は典型的なダメ亭主でしかない。

だが、そんな行動もすべて、彼の信念によって生じたものなのかもしれない。彼は日本の貧困に疑問を持っていたようだ。道端の子どもにお菓子をあげようとしたが失敗したシーンがそうだったと思う。友人のホンジョウにそのことを問い詰められたとき、一度だけ感情を顕わにしたシーンがあった。そこが少し気になった。国が豊かになることを切に願っていた人間だったのだろう。その点で彼の信念の強さを感じさせられた。その信念に突き動かされ、結果的に零戦が誕生した(のかもしれない)。

信念を持ち続け、常に美しいものを追求する一方で、徐々に崩壊が近づいてゆく、そんな儚さを感じさせる映画だった。戦争は、なにもかもを奪い去る絶対悪である。