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気まぐれに書評とか。

【書評】『すばらしい新世界』

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(Brave New World)を読了した。

本書を最初に手にとったときに疑問だったは、"Brand New World"ではなくて、"Brave New World"な点だった。braveという単語には「立派な」という意味も含まれているが、そのへんが少し関係あるのかどうかは気になる点である。

あらすじは、人びとは徹底された管理教育によって、不快感を何も伴うことなく幸せな日常を送っていた。ところが、他の人よりも体格が劣るなどの劣等感を抱えたハーバート・マルクスが、とあるインディアン*1の村に旅行にいくこととなり、そこで知り合ったインディアンのジョンがハーバートの文明社会にはじめて足を踏み入れる。ジョンは文明社会に対して強い違和感を感じるようになり、文明社会の長である、ムスタファと対峙することとなる…というものである。

人びとの幸福というのは、徹底された管理教育によって実現されていた。人びとは誕生の瞬間からすでに文明社会の思考を「睡眠教育」によって叩きこまれ、それ以外の価値観を嫌悪するようになる。

また、階級間の格差もきっちりと管理教育によって管理されていた。アルファ、ベータ、デルタ、ガンマ、エプシロンの各階層は、将来自分のする仕事がそれぞれ決まっており、さらに自分の階層こそがもっともすばらしいという思想統制を施されている。

この世界の人間は、母親の胎内から誕生しない。壜と呼ばれる特殊な装置によっていわば「創りだされる」。また、睡眠教育によって母親・父親というものは卑猥な用語として忌み嫌われている。現代でいうと、ウンコやシッコくらいのイメージが、この世界では母親・父親ということばに込められている。

特徴的なのはフリーセックスとソーマという薬である。が、このあたりは本書を読んでいただければわかると思うので、ここでは割愛させていただこう。

この世界に生まれたかったかといわれれば、半分生まれたかったし半分生まれたくなかった。フリーセックスはかなり魅力的(笑)だけれど、ハーバートのように周りと少し体格や容姿が違っただけで劣等感を感じなければならないような同調圧力も恐ろしい。

それに加え、少しでも文明社会の管理体制に対して疑問を抱いてしまうと、それを吐き出す場所がないためにずっと妙な違和感を感じたまま生活を送らなければならないという点もまた微妙である。文明社会ではそれらはすべて性欲というエネルギーを発散することで解消できるという、なんともフロイトチックな手段で解決をはかっている。だが、ジョンのように別世界から来た人間は、フリーセックスという価値観を受容できないために吐出口がなくる。結果として後半の彼のようにフラストレーションが爆発してしまう。これは本当に幸福な社会の形といえるだろうか。私はそうは思わない。

この社会が幸福な社会の形と呼べないのは、この本に描かれる文明世界には、上記からみてわかるように異質なものを徹底的に排除する風潮があるためである。ただしこれは本文中に表立って書かれていない。あくまで、ハーバートが勝手に感じていただけかもしれない。人びとの思考や思想、体格や容姿、さらには服まですべて管理されているということは、裏を返せば異質なものは「浮く」ということである。浮いた人はそういった社会にとどまれるほど、みながみな精神的に強いわけではない。ハーバートのように劣等感を常に抱き続ける人は出てくるだろうし、ジョンのようにまったく異世界から言わば「移民」したような人はもう生活すら困難だろう。

これは今の日本に類似する部分もある。日本は今のところ、以前よりは緩くなりつつあるとはいえ、相変わらず異質なものを徹底的に排除し、「空気」をはじめとする同調圧力を好む社会形態である。ハクスリーの描く社会ほど排他性の強いものではないとしても。

そして、日本にはジョンのように、社会に対して強い不満をもっているけれど、はけ口がないために不満を己の内面に溜め込み、今にも爆発寸前の人が少なからずいるであろう。そういった人びとは今になってSNSという格好のはけ口となるツールを見つけ、あるいはヘイトスピーチに参加したり、あるいはSNSで徹底的に罵倒するアカウントを作ったりしているのではないだろうか。ジョンのすばらしかったところは己の違和感を外にぶつけず自分にぶつけたところにあるが、そんなBraveな人間はこの世には多くはいない。

さらに、現代の文明世界は、階級や所得をはじめとして、あらゆる部分において平等化が進んでいるといわれている。2030年には現在の発展途上国においても大量の中間所得層が誕生し、いよいよ世界はフラット化が完成に近づいてゆく。要するに人類の画一化が進展する。そんなとき異質な人びとは、ハクスリーの描いた世界のように「浮く」かもしれない。そして浮いた人たちの欲求不満のはけ口となるものは、今のところ現代にはないのではないかと私は思う。そうなったとき、ジョンのように精神的に強い人が多ければいいのだが、人間は全員がそうではない。つまり、欲求不満の解消先が自己の内面ではなく、周りの環境になった場合どうなるだろうか。これはある種おそろしい未来を描いていると、読後に書評をまとめながら感じられた。

*1:本書の表記通り、インディアンと書かせていただく