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気まぐれに書評とか。

スピノザ―ジル・ドゥルーズ『スピノザ』

ジル・ドゥルーズスピノザ』を読みました(やっと)。この本はガタリと共著した『千のプラトー』が出た翌年に出版されたもので、ドゥルーズのどちらかというと中〜後半の思想を代表している本のひとつだといえます。

ドゥルーズは、他にも『スピノザと表現の問題』という本を書いています。こちらはどちらかというと専門家向けの一冊に仕上がっていますが、『スピノザ』は一般の、これからスピノザを始める人向けかなあという印象を持ちます。それくらい、わかりやすくて読みやすいです。

ちなみに『スピノザと表現の問題』は今読んでいる最中ですが、なかなか止まってます(笑)。

スピノザの思想について

スピノザ自身の思想について少し復習をしておきましょう。スピノザの思想は端的に言って、デカルトの思想を知らないと理解できません。そしてざっくりスピノザを捉えるには、デカルト「でない」方向に向かった、と考えるとひとまずは読みやすいかと思います(デカルトの思想の紹介をすると文字数が大変なことになるので端折ります)。

スピノザの思想ははっきり言って難しいです。私がスピノザを読んでいてよくわからないのが、スピノザが文中でしきりに「神」と書くものが、果たしてキリスト教的な意味での「神」なのか、それとも神即自然という意味での「自然」一般を指すものなのか、はたまたプラトンが想定した「イデア」みたいなものなのか、イマイチつかめないからです。そして、スピノザ本人も『エチカ』の中で、神がどういうものなのかを具体的に書いてくれてはいないからです。

しかし、もしかするとこの疑問は野暮なものなのかもしれません。当時、哲学は神抜きでは考えられませんでした。ここでいう神とは、キリスト教の教義にある神です。聖書で言うところの主です。スピノザが正統派キリスト教が嫌いだったとかそういう話はおいておいて、ひとまず当時の人々が何かしらの形で信仰していた「神」のことを指していて、そしてあまりにそれが当たり前すぎたから、あえて書いていないのかと思います。

そして、創世記(1-1〜1-29くらい?)などを読むとわかるように、神が結局自然(というかこの世)をお作りになったのです。つまり、神=自然なのです。なぜなら、神が諸原因の根源であり、その原因から生じた結果である「自然」はすべて神という属性を帯びるからです。この考えを受け入れると、スピノザの思想が少し視界の開けたものになるかもしれません。

ところで、このように神とその他のものという従来の序列関係から、神とその他のものが同様の優先度である(逆に言うと、この2つの間に序列関係はない)というスタンスを取ると何が起きるか、が重要です。スピノザの思想の画期的なところはここにあります。

哲学史において偉大な思想家であると言われる人たちは、かならずこの解体作業を行っています。スピノザデカルトの思想内の各所に見られるこの序列関係をいったん解体してみました。すると、まったくデカルトとは異なった世界観が誕生しました。

もっとも重要なのは、道徳的な意味での善悪の解体でしょう。神=自然法則な世界において、道徳的な意味での善悪という概念は残らないからです。物事の正しさを決める尺度を判定する裁判官が世の中から消えてしまうからです。そこには、ある存在が「ただ在る」状態だけが残ります。

かくて、〈エチカ〉〔生態の倫理〕が、〈モラル〉〔道徳〕にとって代わる

よく人は、「・・・するべきだ」という考えのもとに物事を判断しようとしてしまいます。自分が他者の裁判官になっているのです。だから、世の中には諍いが耐えないし、イライラが止まらなくなるのです。しかし、その諍いやイライラの原因が道徳的な善悪から生じており、その根拠がまったくどこにもないことを認識すれば、他者のことを受け入れることができるようになります。そうして肯定的に物事を捉えることで、他者と自分の差異を冷静に受け止められるようになります。

これが、ドゥルーズ自身の差異の哲学ととてもマッチしたようで、ドゥルーズはその点でスピノザに肯定的な評価を下しています。

ドゥルーズ自身の考えるスピノザについて

ドゥルーズ自身がスピノザをどう評価しているかについては、むしろ『スピノザと表現の問題』の方が詳しく書いてあります。ドゥルーズスピノザの哲学を「純粋肯定の哲学」と評しています。

「肯定の哲学」という言葉をドゥルーズの観点から読むなら、それは「生きる力の肯定」ということになるでしょう。では、生きる力の肯定とは何か?これは結構漠然とした難しい問いですが、私は「反応すること」にあるのではないかと思います。そして、「反応する」ためには、あらゆる物事に「気づく」必要があって、その気づきを得るためには、周りの存在を肯定する必要があるのではないか、そう思います。

というのもの、人は肯定されたものしか認識できないからです。肯定とはそれを必要なものであると見なすことです。私たちはそこまで記憶力がいいわけでも、エネルギー効率がいいわけでもありません。したがって、不必要なものは無視してしまう癖があります。肯定する幅が小さくなると何が起きるか。答えは明白で、視野が狭くなります。

視野が広いほうが、よりリアクションを起こしやすくなります。関心事を広げようということです。それがそのまま、他者の存在を肯定することにつながります。他者への何かしらのリアクションを起こすことが、他者の存在の肯定にそのままつながります。こうして、より人の生きる領域が広がって行き、結果としてより〈いい〉状態に向かっていくことでしょう。

今回読んでみて、スピノザの「力能」という言葉の理解が甘いなという結論に至りました。ドゥルーズは当然、ニーチェとの関係性の中でスピノザの「力能」を捉えています。なので、今度はニーチェも少し掘り下げて読んでみようかと思いました。

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))

ゼロから理解する機械学習―斎藤康毅『ゼロから作るDeep Learning』

機械学習の勉強の最初の本として買いました。ちなみに私はど文系の政治哲学出身なので、数学はサッパリです。大学の教養の授業で、理系の学部2年目までに習う線形代数微分積分を取ったくらい。ただ、仕事で数学を使うことになったのでそれから勉強して、かろうじて確率過程がわかるくらいという数学力です。

そんなど文系でも、結構わかりやすかった。とりあえず、ReLU関数なるものはコール・オプションだし、ブラック・ショールズとおんなじかんじか〜、機械学習って究極CAPMと同じかもね、なんていうふうに、金融工学の話と強引に結びつけてなんとか理解しました。まだ使えるレベルじゃないけど、おおよそ機械学習なるものが何をやってるかはよくわかりました。

実装が豊富に載っているのも良い点ですね。数学がわからなくても、コードを読んだら理解できたところは結構あったと思います。

本書にひとつ付け加えるとしたら、計算の概観みたいな図がほしかったかなというところですね。途中まで、パーセプトロンとかが何を目標にして使われているのかつかめなかったので・・・本の最初に、そういう計算見取り図的なものがあると嬉しかったかな、と思いました。

JJUGのLT会に行ってきた

JJUGのLT会に行ってきました。いつも薄い感想を抱いてこういうセミナーって終わっちゃうので、せっかくの機会なので感想をしっかり書いてみようと思います。ただし、書く気力が続いたら(現在、AM2:42)。

ピザとビールを片手にみなさんの発表を聞く会でした。ほんっっとどうでもいいですけど、カマンベールチーズが入ったピザが超おいしくて、また食べたいな〜なんて思いながら(そのピザの名前がわからない)書いてます。

freemakerの人(って私のメモには書いてある)

[Slide Shareとかに上がってませんでした]

timeleafと同系列で、freemakerなるものがJavaにはあるらしい。timeleafは知ってたけど、freemakerは知らなかった。Webデザイナーをしていた自分としては、React.jsとかと比較したときに、freemakerを始めとするJava系のテンプレートエンジンを使うメリットがよくわかりませんでした。どなたか詳しい方教えてください…

この前Webアプリの開発をしたのですが、そのときはSpring Bootとdurandal.jsを使ってやりました。durandal.jsにはknockout.jsも入っていて、HTMLを非常に綺麗に書けるのでとてもおすすめです。後継のAureria.jsが今後は主流になるみたいですけど…

JDBCでつながるSaasの世界

「ざっくりまとめると、CData JDBC Driversの宣伝」と私のメモには書いてあります。多分そうだったかと思います。SQLからTwitter API経由でツイートできちゃうんですね。ちょっと遊んでみたいな〜と思いました。

Javaとメールで遊んでみた話

私は金融業界の人なので、Javaでメールを送るという業務要求がありません。まず、Javaでメールを送れるということを知りませんでした(笑)。これ、便利ですね。ちょうど、社内で毎回同じような文面で送るメールを自動化したいな〜なんて思って、入力項目をコンソールで入力すると自動で文章を補完してくれる、みたいなプログラムを勝手に作って遊んでました。メールを送るところまで自動化できると、よりできることの幅が広がりますね。

Microsoft Cognitive Serviceと組み合わせて、メールの文面から感情を読み取る一連の作業をやってくれるデモもやってました。ただ、Text Analyticsとか諸々が結構Javaに対応してなくて、悲しい思いをする…というあるあるな話に妙に共感しました。最近はPythonばっかりですしね。なんでなんでしょう?

ArrayListをじっくり読んでみた

LTの中で一番おもしろかったです。ArrayListSDKを真面目に読んでみた結果、発見できたことをシェアします、という話でした。ArrayListって普段よく使うんですけど、実際の実装ってほーとんど見たことないですよね。

ArrayListの実装ってめちゃくちゃ省エネしてるらしくて、たとえばインスタンス変数をローカル変数に置き換えて、後続の処理ではすべてローカル変数を使うようにして省エネしたり、値と参照と代入を同時に実行して省エネしたりと、数々の省エネ対策を行っているようです。また読んでみよ、と思いました。

JDIの話

これもArrayListの話と同じくらい興味深かったです。まず私の勉強不足だったのですが、JDI (Java Debug Interface) なるものがあるということを初めて知りました。これ、Eclipseとかのデバッグを起動すると実行されるやつみたいです。へー。

たとえば、JDIを使うとこんなコードが書けるらしい。Javaを実行すると数秒後に落ちて終わる、みたいなもの。

public class Main {

    public static void main(String... args) {
        Runtime.getRuntime().addShutdownHook(new Thread(() ->
            System.out.println("shut down hook")
        ));

        System.out.println("processed");
    }
}

これを実行すると、ランタイムを落とすことができます…云々、です。デバッガって普段何でできてるかを意識することはほぼないと思うのですが、JDIを見るとデバッガってこういうものでできてるんだ、ふーん!という気持ちになれるので、ちょっと読んでみることをおすすめします。

synchronizedの怖い話

あるあるすぎてまじ!!!!と叫びたい気持ちになりました。64コアとかの巨大CPUでsynchronizedすると、とにかく重い!しぬ!という話でした。Java の HashTable とかは、synchronized を使っちゃってるので気をつけましょう。ConcurrentHashMap とかを使うようにしましょう。

ちなみに、 Properties は HashTable を継承してしまっているので注意だそうです。知らなかった。

アマゾンの考え抜かれた事業展開がすごすぎる―角井亮一『アマゾンと物流戦大争』

今月のTSEPの課題本。ロジスティクスが今月のテーマということでとても楽しみにしていたんですが、急遽お仕事が終わらないことが水曜日くらいに発覚し、残念ながら参加できませんでした><

私も最近になってAmazonのPrime会員になったのですが、これすごすぎません?Primeと書かれた商品なら最短その日中、遅くとも次の日の午後には届くという脅威の速さ。おかげで、帰宅時間がとても遅い私でも、欲しい物をAmazonで買って、宅配ポストで受け取るみたいな生活ができるようになりました。

気になっていたのは、「なんでこんなに速いんだろう?」ということですよね。これって、Amazonの倉庫がいたるところにあって、それなりに在庫を抱えていることによって実現できているようなんです。在庫って負債なので、普通の会社は在庫なんて持ちたがらないんですが、Amazonはそこをゼロベースで考えて、多少の赤字は覚悟で「ストックポイント」を増やすことで対応したそうです。

これはとても有名な話ですが、Amazonの年間の売上はここ最近 y = 3x くらいの傾きで急成長しているように見えますが、営業利益は実はほとんど横ばいなんですよね。じゃあ、その売上と営業利益の差はどこから出ているかというと、大半を投資に回しているのだそうです。普通、日本の会社なら内部留保とかするところですけど、Amazonはすべて顧客サービスのために使っている、ということです。

最近、楽天が徐々にかつての勢いを失いつつあるとニュースで見た気がしますが、Amazon楽天の圧倒的な差はこのロジスティクスにあるようです。Amazonは各拠点(ストックポイント)に在庫をためておいて、それを注文地から最も近いストックポイントから発送するという手法をとるので配送が速い。でも、楽天は配送については各店舗に任せる「モール型ネットショッピング」を展開しているので、配送の速さには限界があります。これが、楽天Amazonの勝負を決め始めている、ということです。

ロジスティクスって、ほとんど私たちが意識することのない存在ですが、これがとまってしまうと実は私たちの生活はほとんど成り立たないです。主要高速道路が1つ崩れ落ちたとか、トラックが足りなくなっただけで、私たちの生活は非常にリスキーなものになります。だから私は、この本を読んでインフラとか物流を支える人たちを尊敬しました。

私は金融業界側にいるのでどうしても物流とかインフラというものがある前提でビジネスの話をすることになるのですが、これらがなくなった世界を考えるとゾッとします。だからインフラが安定運用されていることはとてもすばらしいことです。

この手の本は自分が本屋さんで選んでいる限りは決して手にとることはないので、やはり読書会に出るっていいなと思います。次の本も楽しみですね。

アマゾンと物流大戦争 (NHK出版新書 495)

アマゾンと物流大戦争 (NHK出版新書 495)

ペットを捕まえようとすると逃げるところから、「心」を考える! ―ダニエル・デネット『心はどこにあるのか』

完全に消化不良ですが、一応読んだってことで書評を書きます。完全に消化不良につき、勘違いしている箇所もあるかもしれませんがご容赦ください。哲学書はつねに「んんん?」からはじまり、「んんん?」で終わるのが常ですね。デネットも本書の最後で、「本書は多くの疑問からはじまり、哲学書のつねとして、答えのないまま終わる」と言っているので、このモヤモヤした感じは正しいみたいです(笑)。

とりあえずメモしておきたいことがひとつだけあるのでメモ。

「志向的な構え」によって心を探究する

いきなり謎用語を出しましたが、デネットの本や論文を読むと結構登場する用語です。あらためて。

志向的な構えとは、(人間、動物、人工物を問わず)ある対象の行動について、その実体を、「信念」や「欲求」を考慮して、主体的に「活動」を「選択」する合理的な活動体と見なして解釈するという方策である。

志向的な構えの基本的な手順は、対象を主体と見なすことによって、その行為や動作を予測し、そのような予測を利用して、行為や動作をある意味において説明するというものである。

志向的な構えの要点は、行為の対象を理解するためにそれを主体としてとらえることである。さて、もしそうだとすれば、それは「賢い」主体のはずである。愚かな主体は愚かなことしかしないからだ。そこで、主体は(その観点がかぎられている以上は)もっとも件名と思われる動きしか取らないと大胆に飛躍して想定することができるだろう。そこで、限定された観点を記述するために、わたしたちは、主体が、なにを知覚しどのような目標と欲求をもつかということを基礎として、特定の信念や欲求を持つと考える。

どういうことかをデネットはあんまり詳しく述べてくれてはいないので、一体どういうことかを正確に捉えるのは結構難しいかもしれませんが、ひとつ考えてみることにします。

たとえば、自宅のペットを病院に連れて行くために捕まえる必要があるとします。そのとき、ペットは飼い主に「捕まってなるものか」という信念を持って「逃げよう」とするものとします。そうしたとき、人間は「きっとペットは捕まってなるものかという目標をもって動くだろう、だから、こういう感じで追い詰めて・・・」ということを反射的にしていると思います。それが志向的構えなのかな?と思います。

一方で、この志向的構えによって捉えられないものはすべて、心を持たないということになります。たしかにそうかもしれません。若干荒削りな理論な気もしますが、結構有効なんじゃないでしょうか。

そして、この話に従うと、アルファ碁などのコンピュータシステムも心を持ちうる、ということになると思います。というのも、アルファ碁は、「相手に勝ちたい」という信念を持って、最善手で相手を倒すという合理的な行動を取る存在だからです。これは志向的な構えのいう、「主体」そのものです。そして、その主体には当然心が宿っている可能性があります。

んんん、でも、心ってそんな単純に定義できるの?というと正直難しいと思います。たしかに志向的な構えを使ってコンピュータを捉えると「心があるらしい」というところまでは言えると思いますが、人間や動物の持つ心と同じなの?と言われると、微妙に違うんじゃないかな、と思うんですよね。

デネットが別の著作(『思考の技法』)で語っていた概念があります。「準・○○する」という概念です。コンピュータができるのは結局「準・○○すること」が限界だと思います。アルファ碁も結局「準・判断する」「準・理解する」というところまでは行っていますが、人間と同じ「判断すること」「理解すること」を行っているかというとそうではないです。アルファ碁を始めとするコンピュータを構築するアルゴリズムは結局、処理手順に過ぎないからです。そこから「準」の修飾子が取り払われるにはまた別の要素が必要になるのではないでしょうか。

疑問とモヤモヤが残りましたし、デネットは毎回話が長くて(笑)、本書のすべてを理解しきれたとは思いませんでした。でも、一応思ったことをメモしておくということで。

心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫)

心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫)

心の社会

心の社会

私たちに「意識」はないのかもしれない?―デイヴィッド・イーグルマン『あなたの知らない脳―意識は傍観者である』

最近はずっと心の哲学を勉強していました。仕事で使うというわけではないのですが、機械学習について最近は勉強をしていて、ふと「人工知能っていったい哲学的にどう考えられるんだろう?」と疑問に思ったのがきっかけでした。それで、心の哲学の本を読んでみたんですが、どうも思考実験的な色が強くて納得がいかなかった。そこで、ちょっと脳科学の本を読んでみることにしました。

何かが自分の中心にいるかもしれない―これが「意識」なる存在を想定するような発想に至ります。多くの人は、「意識を失った」なんていうくらいですから、自分のなかに一つの核となる「意識」(自我ともいう?)を持っていると考えていると思います。しかし、イーグルマンはそれについてNOというわけです。

なぜそういえるかというと、私たちは、日常生活のほとんどを実は「意識しないこと」=「無意識」に頼って過ごしているからです。私たちはキーボードを、自分の指が次どう動くかをまったく意識することなく打つことができます。また、自分の視覚に入ったほとんどのものを「見る」ことはなく、ある一点に集中して「見る」ということしかできません(これが交通事故などの悲劇を生みます)。

そしてなんと、私たちはその「無意識」に対するアクセス権ももっていないようです。つまり、自分が無意識に何かをやっている、ということはわかるけれど、肝心の「無意識」が何か?についてはよくわからないということ!な、なんだってー!?しかも、その無意識が悪さをいろいろしてくれるから、錯覚とかが生まれてしまうのだといいます。無意識、案外めんどくさい奴ですね・・・。

結局のところ、私たちは「外に」あるものをほとんど自覚していない。脳が時間と資源を節約する憶測を立てて、必要な場合にだけ世界を見るようにしている。

人の行動は説明不可能だから法律でも裁けない(かもしれない)

私たちの行動の大半は「なぜそうしたかわからない」によって成り立っています。と考えたときに困ってくるのが、「もし犯罪を犯してしまったらどうするか?」ということです。その人が故意にやったかどうかは正直口頭ベースで判断することが多いですし、この世界観に立つとそもそも人が「故意に何かをする」という確率がとても低い、ということになってしまう。こうなってくると、法律や倫理観の正当性が担保されなくなってきてしまいます。

法律や倫理は、人間の自由意志というものを最大限に尊重しています。人は何かをする自由を有しているし、またその意思ももっている。その過程のもとで、じゃあこれは最低限許せるけど、ここから先は許せないよね、社会バランスを崩しちゃうよねという絶妙な線引を行っています。

しかし、私たちの行動の大半が「なぜそうしたかわからない」=「無意識」によって成り立っているとしたらどうでしょうか。自由意志があるといえるのは、結局その人が「なぜそうしたか」説明できるから成り立つのです。しかし、それができないとなると、自由意志という概念の有効性がそもそも怪しくなってきます。ということは当然、法律や倫理の正当性も怪しくなってくると言えるのではないでしょうか?

と思ったところで本書を読み直してみたのですが、本の中では「自由意志の問題と、その答えは重要ではない」的な節があります。ということは、自由意思の問題はあまり考えなくてもいいらしいです。というか、筆者自身、「法律はすでにすべての脳が平等につくられているのではないことを認めている」と言っています。「問題は、現行の法律がおおざっぱな区分を利用していることだ」と筆者はむしろ言います。もっと個別事案に丁寧に対応すべきだ、というのが筆者の主張です。

なるほど、たしかにそう言われるとそうしなきゃいけないのかなっていう気持ちになってきますが、でも現実的に裁判の手間を考えるとこの手の話は結構難しいと思います。1回の裁判で下手をしたら数年かかるのに、数年間裁判官が一人の個別事案のために頭をウンウン悩ませる姿を想像することは難しいです。

もちろん筆者は実運用性について論じたいわけではなく、もっとも重要なのはその人をどうしたら修正可能だろうか?という観点に基づいて法律を制定することだと言っています。要するに今の法律は、「君、これをしたよね。はいダメ。刑罰はこれ」みたいな感じで裁こうとしますが、そうではなくて、「君、これをしちゃったけど、君の脳を調べたらこうこうこういう特徴があって、だからこういうリハビリが必要だよね」という観点から「処置」を下すことをしようと筆者は言います。これ、いいかもしれない。

意識ってそもそもあるの?という話を考えていたら、いつの間にか倫理の話に・・・

トロッコ問題の話とか出て来るあたり、大学の専攻が政治哲学だった私としてはこの手の話を論じずにはいられません。カントの義務論が・・・と口走りそうになりますが、筆者はNOといいます。神経科学の観点から見ろ、と。新しい視点を手に入れられたかなと思います。

ちなみに私自身は意識をどう捉えているかというと、現象学の純粋意識みたいなものと、ドゥルーズリゾームあたりを組み合わせ、コネクトームの話をゴニョゴニョ織り交ぜたような感じで考えています。ようするに自分の中心みたいなものは存在するけれど、それはニューロンの組み合わせでしか存在しておらず、自分の核みたいなものはない、という立場です。この立場を取る人がいるのかどうかは知りませんが、今この考え方が一番納得行くかな・・・なんて思っています。

機械学習のお勉強を進めていくうちに考え方が変わっているかもしれませんが。

あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

人口減少は武器かもしれない?――『武器としての人口減少社会』

この手の本は本当に久しぶりに読んだのですが、とある読書会に参加するきっかけを得たので読んでみました。読書会では非常に有意義な意見交換ができたと思います。社会人になってからやる読書会は新鮮ですね。

ニュースを見ていると、「経済成長率の鈍化が」とか、「人口が減少してこの先は(お先真っ暗だ)」とか、そういう話がとても目立ちます。だからニュースを普段見る私たちはうすうす「もう日本はおしまいなのかな・・・」などと思ってしまいがちなのですが、まだ諦めるのは早い!と励ましの手を差し伸べるのが本書です。

日本経済はこれまで長らく「量」で稼ぐ経済モデルでした。しかし、だんだんと時代も移り、人口が減ってくる未来が現実味を帯びてきました。そこで必要な転換は「質」で稼ぐ経済モデルへの転換なのだと筆者は主張します。質で稼ぐとは、具体的には労働生産性を向上させるということです。

労働生産性を向上させるためには、これまで「定型業務」と言われてきた業務の比率を、移民やAIなどに任せるなどして減らし、「非定型業務」と言われる業務の割合を増やしていくことで利益率と収益率を高める必要があります。「非定型業務」はクリエイティブな業務と言い換えればいいでしょうか。デザインや企画提案などがそれに当たります。

ただ、「非定型業務」には高度な知能が必要です。なぜなら、これらの業務は今までの定型業務より頭を使う業務だからです。したがって、定型業務にもともといた人たちが、非定型業務に移ることは現実的に可能なのか、という問題があります。これはできるのでしょうか?

筆者によれば、それは可能なのだといいます。なぜなら、日本人の数的処理能力あるいは読解力は世界の中でもトップクラスだからです。つまり、知能が高いということです。しかし、日本は終身雇用システムや女性活用の不備といった状況によって、貴重な人材を大幅に持て余しています。これらの人材を活用する施策を打つことで、日本経済はまだまだ浮上可能です。

ところで、労働生産性を考える際に必ず上がってくるのが「イノベーション」という言葉です。これは非定型業務に携わる人間が最終的に目指す目標とも言えるものです。しかし、本書の中で扱われているイノベーションに対する施策は少し的はずれかもしれないと私は思いました。

本書では、労働生産性を向上したり、女性活躍推進を行うこと、さらには企業家精神の教育を早期から入れておくことなどを提案しています。しかし、どれも効果が限定的だろうなと思います。

少しイノベーションについて考えていきましょう。

まず、イノベーションは特許申請数で測れます。したがって、特許申請数に着目して議論をします。特許申請数は、アメリカが群を抜いて高く、次に日本・韓国・中国・ドイツなどが並びます。最近まで日本も奮闘していますが、しかし右肩下がりになっています。一方で中国は特許申請が爆発的な伸びを見せています。

なぜ、アメリカと中国は今になっても特許申請数が伸び続けているのでしょうか。それを解き明かすのは私は、本書の158ページに掲載されている「学術研究における国際ネットワーク図」だと思います。この図は、共著の論文の国別の関わり合いの深さを示しています。その2012年の図において、米国を中心としてみると中国の結びつきが最近では強くなっているようです。一方で、日本と米国との結びつきはあまり強くは見られないようです*1

ここからわかるように、とにかく他の国と協力しながら新製品開発を進める環境を早く日本に整えない限り、日本のイノベーションがより活発になるとは思えません。何かシリコンバレーみたいな企業特区を作って、そこに各国の企業や人材をどんどん入れ込むことによってしか、イノベーションは起こせないのではないでしょうか。イノベーションは知の集積によってしか起こり得ないのですから。

実際、私の会社でもイノベーションを今起こそうとしていますが、やっていることは外資系銀行で活躍していた外国人をたくさん会社に呼ぶことです。そこから思うに、イノベーションというのはやはり多様な人材が知識を寄せ集めてこそ起きるものだということです。

この点において、筆者の想定は少し甘いかもしれないと思いました。

本書から感じるエリート主義の危うさ

ここまで色々書いてきましたが、本書を読んで私が正直に感じたことはひとつです。エリート主義、です。エリートはそれでもいいかもしれないけど、みんながみんな起業したいとは思ってないし、女性もみんながみんなバリバリ働きたいとは思っていないということです。そして、そう思っている人たちが世の中の大多数であり、筆者のような意見はわりと少数派かもしれないということの自覚がもう少し必要なのでは?と読んでいて率直に感じました。

*1:改めて図を見直して思ったのですが、英国・カナダ・ドイツも結びつきが強いです。一方で、カナダは市場にそこまで新商品をもたらしてはいないようですし、特許数も少ないです。一概には言えないかもしれないけど、国際共著の論文を書くことが多い国は、イノベーションを起こしやすい環境が整っている傾向にあるといえると思ったので載せています