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気まぐれに書評とか。

東芝の決算は1年前から大変なことになっていた?―『一生モノのファイナンス』

本格的に株式の投資をやりたいなあ、と思い始めたので、まずはどこに投資しようかを考えるために少しずつ財務諸表のお勉強をはじめました(いつまで続くことやら)。財務諸表は学生時代に少し勉強したことがあるのですが、正直営業利益とかそのくらいの単語しか覚えていないです。

今回手に取ったのは、『一生モノのファイナンス』という本で、これがなかなかわかりやすくて財務諸表をこれから入門してみたい方にオススメできると思ったのでご紹介します。なおタイトルにもある通り、ファイナンスの本なのですが、内容の半分くらいが財務諸表関係に割かれています。

一生モノのファイナンス入門―――あなたの市場価値を高める必修知識

一生モノのファイナンス入門―――あなたの市場価値を高める必修知識

正直B/SとP/Lについては、多少会計を勉強した際の記憶が残っていて知っている話が多かったのですが、今回の読書でキャッシュ・フロー計算書について知ることができたのは大きかったなと思います。そして、キャッシュ・フロー計算書をここまで楽しく読めるようになったのも、本書の例がとてもわかりやすいからかなと思いました。なので、今回はそれを紹介しようと思います。

キャッシュフロー計算書とは?

いきなり、B/SとP/Lの説明を省いて紹介するのでかなりざっくりした説明になりますが(前者2つは本書を読んで下さい(笑))、キャッシュフロー計算書とは企業の現金の流れを示したものです。会社経営にとって現金はもっとも重要なファクターですので、当然このキャッシュフロー計算書は重要な指標です。

キャッシュフロー計算書には3つの項目があり、「営業活動によるキャッシュフロー」「投資活動によるキャッシュフロー」「財務活動によるキャッシュフローの3つのキャッシュフローがあります。

「営業活動によるキャッシュフローは、普通に会社の事業を行っていて発生したキャッシュフローのことです。プラスならば本業できちんと利益が出ている状態。一方で、マイナスならば本業で利益の出ていない状態、と読み取ることができます。

「投資活動によるキャッシュフローは、有価証券や企業の設備投資などで発生したキャッシュフローのことで、通常企業は積極的に投資活動を行って事業拡大を図ろうとしているはずなので、このキャッシュフローはマイナスになっていることが多いようです。

「財務活動によるキャッシュフローは、現預金の借り入れや株式の発行を行った場合はプラスとなり、配当や借入金の返済、社債の償還などを行った場合はマイナスとなります。一般に、マイナスとなっているのが望ましいですが、ベンチャーなどの成長企業は資金調達を行っている場合も多く、プラスとなっていることもあります。この指標は後述のように、ほかとの兼ね合いで企業の経営判断の一因となるのかなと思います。

そして、次がとてもわかりやすいなと感じたのですが、この3つの指標がそれぞれプラスになっているかマイナスになっているかの組み合わせによって、ある程度その企業がどのような経営戦略をとっているか、ということやどういう経営状況なのか、ということまでわかってしまうのです。

キャッシュフロー計算書の3つの指標の組み合わせで、その企業の経営状況が推測できる

3つのキャッシュフローのプラスマイナスの状態を見ることによって、企業の経営状況を把握することも可能です。下記が、本書で紹介されていたキャッシュフロー表の組み合わせです。

営業活動によるC/F 投資活動によるC/F 財務活動によるC/F
(1) 健全型 + - -
(2) 積極型 + - +
(3) 安定型 + + +
(4) 改善型 + + -
(5) 勝負型 - - +
(6) リストラ型 - + -
(7) 大幅見直し型 - - -
(8) 救済型 - + +

健全型、積極型、安定型、改善型についてはそもそもの営業利益が黒字と考えられるので、まずまず順調な企業経営を行っているといえるのは自明かと思います。もっとも、黒字のまま倒産する、などという例もあるので、そういった事例を取りこぼさないためにもP/LやB/Sを見ることが求められます。

一方で、勝負型、リストラ型、大幅見直し型、救済型については、そもそもの営業利益が赤字と考えられるので、この企業に投資する際には注意が必要、ということになります。固定費の状況や直近でどういった投資活動を行ったのかを重ね合わせて見て、企業が黒字化のために本質的な改善活動を行っていて、今後伸びていくであろうと判断できるのであれば、投資をしても構わないと判断できるかもしれません。

これらの情報をもとに、いくつか財務諸表を見てみるとおもしろい結果が出たので、ご紹介したいと思います。2016/3期の財務諸表を利用しておりますことをご留意ください。

東芝→救済型

東芝の2016年3月期のキャッシュフロー状況を見てみると、次のようになっていました。

2016/3
営業活動によるC/F -1,230
投資活動によるC/F 653,442
財務活動によるC/F 135,747

(単位:百万円)

出典: www.toshiba.co.jp

見て分かる通り、営業活動によるキャッシュフローがマイナス、投資活動によるキャッシュフローがプラス、財務活動によるキャッシュフローがプラスということで、上記の分類では「救済型」ということになります。企業の経営がかなり悪化していて、このままいくと倒産一歩寸前、という状況に1年前からなっていたということがわかります。

投資活動によるキャッシュフローがプラスということは、投資活動をほとんど行っていないということなのでしょうか?ということは、2017年度もこの状況があまりよくなることはないかもしれませんね。財務活動によるキャッシュフローがプラスということは、借り入れなどを行うことでキャッシュを懸命に捻出しようとしていることを物語っています。

2017年度の発表もリスケされたもののそろそろあると思うので、見ものではないでしょうか。

HIS→積極型

今日、旅行のパッケージを売り出す会社が1つ破産申請を出していて、もしかしてこの業界、闇が深い・・・?と思い、業界大手であろう(よく知らない)H.I.S.決算短信を覗いてみました。締めのタイミングが少し他の日系企業と異なるようで、ひとまず2016年度の決算短信を参考にしました。

2016年度
営業活動によるC/F 5,149
投資活動によるC/F -15,440
財務活動によるC/F 30,181

(単位:百万円)

出典: http://his.co.jp/material/pdf/2016_kessan_all.pdf

H.I.S.は去年時点では割と好調だったみたいです。近年のインバウンド増加もあることですし、引き続き事業拡大を企んでいるのでしょうか。投資活動によるキャッシュフローはマイナスになっています。決算短信を見ると、関連会社の株式取得などに投資を行ったと書いてありました。

ただ、キャッシュフロー計算書からはさすがにH.I.S.が今後も伸び続けるかどうかは判断できませんね。関連会社の取得、ということが書いてあったので、このあたりを掘り下げて、妥当な投資を行っているか?のチェックが必要かなあと思いました。

財務諸表から投資先を考えるにはうってつけの一冊

文字数が多くなってきたのと、ちょっと疲れたのでこのあたりで切り上げますが、株式をむやみに購入するのではなく、こういった企業が公表している通知表としての財務諸表を参照しながら、経営陣が適切な経営戦略を打っているかを判断しつつ購入するのが賢いやり方なのかなと思いました。

今日、投資の神様バフェットの本を立ち読みしていたら、「その会社を買うつもりで株を買う(だったかなあ)」という名言が載っていて、そのくらい丁寧に購入先を決めるのが肝要なのかも、と思いました。バフェットは、よく知らない業界の株は買わないという話も聞いたことがあります。

その会社を買うとして、その経営陣は信用できるか?今後も伸び続けてくれるか?を判断する材料として、キャッシュフロー計算書はその取っ掛かりを見つけさせてくれるいい表なのではないでしょうか。

ものすごく今更な感じですが、NPVやIRRといった企業価値分析に関する記載もあります。今回は紹介しませんでしたが、理解が深まったら機会を見つけて企業価値分析に関する記事も書いてみようかなと思います。他の会計の本とくらべて、図も多く内容も整理されていてわかりやすいので、ぜひ読んでみてください。

一生モノのファイナンス入門―――あなたの市場価値を高める必修知識

一生モノのファイナンス入門―――あなたの市場価値を高める必修知識

自分の才能のなさに絶望したときにぜひ読んで欲しい―アンジェラ・ダックワース『GRIT』

最近自分の「才能のなさ」にとても歯がゆい思いをする機会が多かったのですが、「ちょっと待った」と教えてくれた一冊があります。それが『GRIT』でした。書店で見かけたことのある方も多いかと思います。率直に言って、とりあえず読んでみるに値する本だと思ったので、ぜひ読んでみてください。

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

才能よりコツコツやり続けることが重要。ただし、そのやり方に問題がある

本書で一貫していわれていることは、「才能」がすべての成功を決めているわけではない、ということです。それよりもより重要なのは、何かを一貫してやり続けることの方、と筆者は言います。それを、何人もの成功者にインタビューすることで証明していくというのが、本書のスタイルです。

こう言われると、希望がわいてきますね。私自身も、才能がないんじゃないかと悶々とする日々をここ数ヶ月過ごしていたのですが、とにかくまずは目の前のことをやり続けること、そしてやり遂げることに注力するようにしました。気持ち、楽になった気がしています。

ただ一方で、筆者は、何かをやり続ける際には目的や動機が重要で、その設定を誤るといくらやり続けたとしても卓越した成果を上げることはできない、といいます。そしてその目的は、他者への貢献などが目的だとより強固な動機となり、卓越した成果を上げるにはそれが必要条件なのだといいます。多くのビジネス書に書いてあることではありますが、こう言われると妙な説得感を覚えます。

本書の内容は以上なのですが(笑)、豊富な具体例でとても読みやすい構成になっています。私自身は、手にとってみてほんとうによかったなと思っています。

実践していきたいこと

目的を定める、というのは学生時代によく言われたことなのですが、社会人になってから日々を漫然と過ごすことが多くなり、やらなくなってしまいました。手帳などに自分は何をしたいのか、何のために生きているのかなどを常に整理して書くのは大事かもなあ、と思って、これから整理しようとしています。7つの習慣とかと組み合わせるといいかも。

何かを練習する際には、PDCAサイクルを回すこと。これも、社会人になって漫然と過ごすなかで忘れていたことですが、徐々に取り戻していこうと思います。とくに毎週はじめにタスクの整理をする際、ついでに今週に何をするかを計画して、週末にできたかどうか見直す、というサイクルは重要ですね。やろう。

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

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自分自身の不完全さに向き合ってきたエッセイ―村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

またひとつ、村上春樹のエッセイを読んでしまいました。『走ることについて語るときに僕の語ること』。正直ランニングやジョギングにはあまり興味はないですが、小説家とランナーという2つの顔について、村上春樹自身がどう考えているかにはとても興味があったので、読んでみました。あと、結構いろんなところでおすすめされている本だった、というのもあります。

『職業としての小説家』と『走ることについて〜』

まず思いつく感想としては、『職業としての小説家』に書いてあったことがたくさん書いてあるなあ、ということです。以前『職業としての小説家』は気になって読んでいて、そこから村上春樹の自分語り、好きだなあという感覚をもっていました。そして、『職業としての〜』で書かれていたことが、たくさん『走ることについて〜』に書いてありました。

ここから考えられることは、村上春樹の人生哲学は、10年間であまり変わっていないのでは?ということです。10年前に出版した『走ることについて〜』と、その出版の10年後の『職業としての〜』の中身にそれほど大差がない。淡々と生きているのかな、という印象をもちます。そして淡々と生きられる人生というのは、それはそれで幸福な人生なのではないかと思います。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

なかには「いや、ジェットコースターのような人生のほうが楽しいに決まっている」という人もいるかもしれません。人生の楽しさ、というのはその人にとっての幸福の一要素だと思います。そして、それは簡単には決められないものです。でも、私はどちらかというと村上春樹型の淡々とした人生のほうが好きかなと思います。浮き沈みが激しいのは疲れるので。

ランナーと小説家をどう考えているか

ランナーと小説家という2つの顔について、自身がどのようなことを考えているのか、という疑問についてなのですが、正直なところいろいろ書かれすぎててよくわからないです。ただ、読んでいてこう考えているのかなあという漠然とした答えは得られました。

ひとつは、小説を書くという作業において、ランナーという顔は大きな貢献を果たしている、ということです。小説を書く際に、ランニングに対する姿勢が役に立った、という話を実際に本書の中でしています。したがって、ランニングはすくなからず、村上春樹の小説を書く姿勢に影響を与えているようです。

一方で、小説家という顔とランナーという顔の2つの関係性については、それほど深く考えていないのでは?とも思いました。小説に役に立てるためにランニングをしている、という感はなく、どちらかというと小説を書く上での目標とランニングをする上での目標はぜんぜん違った方向を向いている、という感がします。

自分がもし二足のわらじを履くことになったとき、お互いがお互いの役に立たないことに悩む必要はないかもなあと思いました。つまるところ、2つの顔があるなら、それぞれに対する目標を立てて2つの方向に向かって邁進すればよい、ということなのでしょう。

自身の才能がないとき、どうすればいい?

本書の中で村上春樹が、小説家に必要なものを上げていて、そこらへんの章が印象によく残ったのでメモしておきます。

小説家に必要なものは2つあると村上春樹は考えています。1つは文学的才能。もう1つは、集中力だといいます。そして、前者はもはや持ち主にはコントールできないからどうしようもないけれど、後者は訓練で後天的に獲得可能です。そして、その後者をランニングによって鍛えることができた、とも語っています。

才能のない大半の人は、才能については関係のないものと考えるのがベストプラクティス。そして、才能に恵まれない場合、後者をしっかり鍛えることで量でカバーするしかない、というのが正直なところ。と、本書の中で語られています。

私も、自分自身の才能のなさに多々悩むことがあります。が、才能に恵まれないのであればとにかく継続する集中力をもって、1日3時間でも4時間でもいいから、コツコツやるしかないんだと村上春樹が語っていて、なんとなく「ああ、そうなんだ」という気分になりました。

巨人ならざる世間の大半の作家たち(僕ももちろんそのうちの一人だ)は多かれ少なかれ、才能の絶対量の不足分を、それぞれに工夫し努力し、いろんな側面から補強していかなくてはならない。そうしないことには、少しなりとも価値のある小説を、長い期間にわたって書き続けることは不可能になってしまう。そしてどのような方法で、どのような方向から自らを補強していくかということが、それぞれの作家の個性となり、持ち味となる。

「才能に恵まれない」といった、自分自身の不完全さを受け入れるというのは思った以上に難しいことです。そして、だれもが自分自身の不完全さに我慢できない時期があったと思います。が、この一節を読んで、むしろ不完全だからこそ補強の余地が残されているのだということに気づければ、大きく前に進むことができるのではないでしょうか。

村上春樹自身にもやはりそういう時期があったようです。本書の後半の方で、16歳のときに裸になって自分の体の嫌いなところをリストアップしてみた、なんていうエピソードが載っています。おもしろいことするな、で言えばそこまでなのですが、村上春樹自身も、自分自身の不完全さが嫌になる時期があったということを示唆していると思いました。結局きりないじゃん!と思ってやめたそうですが。

そして、本書のなかで語られるランニング中のエピソードは、自分自身の不完全さと歳をとっても向き合い続ける必要があるのだということを示唆しているなあと思いました。

走ることについて語るとき彼の口から語られることの多くは、ランニング中や大会等で出会った「障害」「自分自身の不完全さ」の記憶です。そして、それに対して何を考え、どう行動したかを書き連ねています。走ることについて語るときに彼の語ることは、そうした「不完全さ」はつねに自分につきまとい、それは避けられないということ、そしてそのために「不完全なしかた」で対処し続けなければならないのだ、ということなのではないでしょうか。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

ウィスキー飲みたくなってきた―村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

村上春樹の小説はほとんど読んだことがないのですが、エッセイは好きで読んでいる気がします。『職業としての小説家』を読んでから、村上春樹がエッセイを書く時期・短編小説を書く時期・長編小説を書く時期という波をもった作家だと知り、そこからエッセイに興味をもったのがきっかけです。

『ポートレイト・イン・ジャズ』は、ジャズを聴きたくさせるエッセイでした。今回読んだ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を読んで、今度はウィスキーを飲みに行きたくなってきました。いや、これから冷蔵庫にあるウィスキーを飲みます。

私がウィスキーを飲むようになったのは、バイト先のマネージャーの影響が大きいです。彼に薦められて、バイトの終わりなどにいろいろ試し飲みするうちに、ウィスキーに興味をもつようになりました。そこから、自分自身でウィスキーを買って飲むようになりました。

でも、ウィスキーの味はべつに毎日飲みたくなるほど好きなわけではありません。飲んでいるうちに、人並みに気持ち悪くなってきてやめます。では、ウィスキーをそこまでおいしいと感じていないのになぜ飲むのか?私は、ウィスキーにまつわるストーリーなどを味わいながら飲んでいるのではないかなと、自分自身を振り返って思います。飲んでいる間は、「ウィスキーを飲んでいる自分」に酔うことができます。こう書くとナルシズムっぽいですが。

一方で、村上春樹もこうしたウィスキーの〈記号消費〉をしていないとは言いきれないとエッセイを読みながら思いました。村上春樹がウィスキーの味を表現するとき、そのウィスキーの背景などを交えながら記述していたからです。彼も私と(そして多くのウィスキー飲みと同様に)、ウィスキーのバックグラウンドをたのしみながら飲んでいる人のひとりではないでしょうか。

魅力を「ことば」で伝えなければならない苦悩

さて、この本のタイトル『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』についてですが、その裏の意味がじつはあります。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。

村上春樹は、本書を書く際に、ウィスキーの味を表現することにとても苦労したように見受けられます。いつも読むエッセイとは違って、今回は「あ、苦労して書いたんだなあ」というのがまるわかりな気がします。ウィスキーの味ですから、当然それを正確に伝えることは不可能でしょう。ことばを尽くしても、伝わりきらないディティールがどうしても出てきてしまうことには致し方のない面もあります。

が、それ以上に、ウィスキーの味というのはそれほどまでに複雑で奥行きの深いものだ、ということを示唆しているのではないでしょうか。一流のことばの使い手である村上春樹がこれだけ苦心して、最後の最後で「僕らのことばがウィスキーであったらなあ…」とぼやいてしまうくらいに、それくらいウィスキーというのは深いのだなあと思いました。

さて、ウィスキーを飲みに行きましょう。ちなみに、本書に出てくるアードベッグタラモア・デューブッシュミルズは好きでよく飲みます。あと村上さん、バーボンは好きじゃないのかな?バーボンの話はいっさい出てきていませんでしたね…

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

フロントエンド未経験エンジニアがフロントエンドをちょっといじってみた(1)

普段が忙しすぎてなかなか最新鋭のsomethingを触る機会がないので、お正月ですがコツコツ作ってみました。まだ動くレベルにまではいっていませんが、ひとまず感想を書いておきます(今年のJJUGでアウトプット大事って言ってたし)。

まず、私は普段Javaしか使いません。たまにWebアプリに配属されて、ちょっとフロントエンド周りを触って(元々Webデザイナーなので、HTMLとCSSjQueryとかなら爆速で書ける)プロジェクトを離脱、なんてことはありましたが、基本的にはJavaでずっと書いています。

Java好きなのでJavaで問題ないんですけど、AngularとかReactとかカッコイイ言葉使ってみたいじゃん?という不純な動機でフロントエンド系のいろいろなものに手を出してみよう、という勝手な企画です。

今回手を出してみたのが下記です。

Materialize.css

materializecss.com

bootstrapは昔これでもか!というくらい使ったので、今回はちょっと話題になってたMaterializeを使ってCSS書きました。とりあえずbootstrapより使える色の数が多い感じ。あと、各コンポーネントがいちいちオシャレ。しかし、若干bootstrapよりやれることが少ない(独自実装が必要)な気がする。ポップアップでYes/No選べるやつ(名前がわからない)とか、多分自分で作らなきゃいけないような…

Vue.js

jp.vuejs.org

AngularかReactかVueかで迷って、結局Vueにしました。サイトのデザインが好きだったから、というのが選んだ理由です。でも、ReactかVueかで比較すると、速さの点で少しVueの方が勝るみたいです。それ以外の違いはあまりないかもしれません。Angularとそれ以外というくくりなのかなと理解しました。

昔のプロジェクトで使い慣れたknockoutとVueの実装を比較したページもあって、こちらでもVueの良さが伝わるかなと思います。まあべつに使いやすいやつを使ったらいいと思います。

個人的には、.vueファイルにコンポーネントの処理を記述して、.jsにビジネスロジックとかを記述する感じが好きですね。ほかのjsライブラリを知らない(knockoutとかdurandalとかしか知らない…)ので、他のやつにあったらごめんなさい。

Spring Boot

https://projects.spring.io/spring-boot/

Javaフレームワークです。最近だと、とりあえずこれ使いますか、という感じになります。セキュリティ周りまで充実してますしね。私も、以前使って使い慣れているので今回もこれを使いました。

Vue.jsを使おうとしたらインストールの必要が出てきたツールたち

しかし、これだけでは済みませんでした。思った以上にフロントエンド界隈って複雑でした。1つにならないんですか?と思うんですが、よく考えたらJavaも別に1つになっていたわけではありませんでした。とりあえず、フロント界隈に初めて触れる方向けに、覚えておいたらいい用語をメモします。

npm

Node Packaged Modules(npm)のことです。npmをJavaで言うと、Mavenですね。ライブラリの管理をやってくれるものです。npm install XXXと打つだけで、jsのライブラリを勝手に該当のディレクトリに入れてくれます。便利なので、これを使ってjsライブラリの管理をするととても楽です。

実装の際には、package.jsonなるファイル(Javaでいうと、Mavenのpom.xmlとかbuild.gradleとは)に依存関係とかを書き込んでおいて、あとは適当なビルドツール(後述)を用いてビルドすれば完成。JavaScriptにビルドの機能がついたなんて、jQueryで遊ぶ程度だった私は知りませんでした…。

browserify

http://browserify.org/

あまりよくわかっていないのですが、require('vue')とかすると、vue.jsを読み込める、みたいな機能を持たせるものらしいです。npmで取り込んだjsを呼び出して使えるものらしい。(知らず知らずのうちにrequire('hoge')してた)。

私の理解としては次のとおりです。jsには長いことJavaで言うところのimport文がなく、お互いの依存関係は一旦HTMLにscriptファイルを書いて記述する必要がありました。そこで、そんなめんどくさいことをする必要がないように、js同士で依存関係を解決できるようにしたのがこの「require」文なのでしょう。便利ですね。

gulp

http://gulpjs.com/

ビルドツール。他に、gruntとかいうのもあるらしいです。よくわからずとりあえず参考したチュートリアルがgulpを使っていたのでgulpを使いました。どこがいい、とかそういう話はできません。ただ、Node.jsのAPIを使ってビルドするみたいなので、先述したnpmと相性がいいとかあるのかもしれません。

Babel

babeljs.io

jsにもいろいろあるらしくて、これはそのうちの「ES6」なる構文で.jsファイル内では書いて、コンパイルするとどんなブラウザでも認識できる古いjsの構文に直してくれる、というツールです。

ところでES6なのですが、

  • クラスが使える
  • スコープがまともなletとか、定数constが使える
  • Arrow関数(Java8で言うと.forEach(v -> {})の「->」)を使える

等々、あんなにわかりづらかったjsがめちゃめちゃわかりやすく書けるじゃん!という強者です。もうみんなこっちで書けばいいのにっていうレベル…

クラスをクラスとして扱えるのと、extendsを使って継承できるなど、Javaしか触ったことのない私でも「あ、なんとかなりそうだ」という気分にさせてくれました。実際、なんとかなりました。

ただ、1つ問題があって、babel等でbuild.jsなるファイルに吐き出したjs、どうがんばってもデバッグできなそうなんですけどフロントの皆さんはどうやってるんですかね?ちょっと調べてみたんですが、Chromeの検証ツールはあんまり役に立たないみたいですし…デバッグは死活問題ですし必ず誰かが解決していると思うのでもう少し調べてみよう…

エディタ

Java側はIntelliJ、フロントサイドは全部Atom、みたいな使い方をしています。IntelliJは安定といえば安定なんですけど、コマーシャル版だとjs側の補完が全然効かなくてわりと不便です。また、Atomだとlanguage-vueというパッケージがあって、これをインストールすると.vueファイルでも補完が効くようになるので、その点でもAtomを選びました。参考までにどうぞ。

ひとまずフロントエンドの皆様が使っていそうなツールを一通り使って、これから三が日で簡単なWebアプリでも作ってみようかなと思っています。githubはもうちょっとできてからコミットします。

ヒトラーが現代に蘇った場合、彼の猛進を防ぐ手段はあるのか?―ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』

『帰ってきたヒトラー』を読みました。ヒトラーを扱うブラックユーモア小説として、ドイツ国内では大ヒットした作品。ドイツに限らず、アメリカや、なんと…イスラエルでも出版されたそうです。映画化もされており、映画も時間を見つけて見てみたいと思います*1

ヒトラーが浦島太郎のように現代に蘇り、ユーチューブなどを通じてモノマネ芸人(コメディアン?)として人々の認知を集め、その後政治家を志していくというストーリー。ヒトラーは当然「インターネット(本人は"インターネッツ"と呼ぶ)」を知らず、YouTubeにもWebサイトにも興味津々で、扱うのに苦労します。そこが笑えるところなのですが、後半になるにつれ、ヒトラーの「人を惹きつける」ところが強調されていきます。そして、そこが怖いところでもあるのですが…

ヒトラーは再び当選してしまうのか?

私はこの作品を読んで、まず気になったのが「ヒトラーは政治家に再び当選してしまうのか?」という点です。そして、現代においてはこれは確実に「YES」だと思います。

ヒトラーが政治番組に出たり、さまざまな人と話をするシーンがあるのですが、ヒトラーにはどうやら人を惹きつける力があったようです。当然といえば当然です。あの時代のドイツであれだけの支持を集めてしまったのですから、人を惹きつける力は半端ではないです。また、人の心を読むのも上手だったことが描写されています。これもまた、政治家には必要な資質でしょう。

当然のことながら、ヒトラーはこのあと人々の支持を集め、当選してしまったと思います。原作には描かれていませんでしたが、「このままいくとうまくいっちゃうよね」ということを作者は暗に示しているなあと感じました。

一方で、では「ヒトラーを再び当選させないためにはどうしたらよいのだろうか?」という問いに対して、現代においては打つ手だてがないかもしれないと考えました。結局こういう人たちは、言論の自由に守られて何を言うのも自由です。そして、賛否両論を巻き起こし、最終的には賛同者を集めて当選してしまうことでしょう。そして、それは簡単です。政治は過半数の支持を得られればよいからです。51:49でも、50.5:49.5でも、過半数であればそれは成功なのです。

極論を言うと、この作品のように独裁者が復活した場合、現代において打つ手だては、彼らの言論の自由を無視し、独裁者を逮捕して自由を拘束することしかないのではないでしょうか。危険思想のように思われるかもしれませんが、現実的な手だてはそれしかないように思います。

そしてそれこそが現代の民主主義の矛盾であり、個人の自由と社会全体の利益を天秤ではからなければならない政治制度の限界を示しています。個人の自由を最大限保障すると、ときにヒトラーのように社会全体にとって不利益をもたらす存在を止められないかもしれないです。個人の自由と社会全体の幸福のどちらを選択すべきか、という問題は、マイケル・サンデル教授も熱心に著作で論じている政治哲学でも重要なテーマです。もっとも、社会全体の利益が何(だった)かなんて、未来から過去を振り返ることでしかわからないとは思うのですが。

何より、現にこの作品で起きていたような「賛否両論を巻き起こすヤバメの人」が当選してしまった例はすでにありますよね。トランプの当選です。最近は賛否両論を巻き起こせるような人が当選する傾向にあるように思います。そこまで予測して作者が書いていたかはわかりませんが、この本が描くような世界に今なりつつあるのは間違いないのではないでしょうか。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

「過去との新しい対話」が求められている

本書の最後にニューヨーク・タイムズによる、著者インタビューを含む書評が載っていて、そこに気になる記載があったので紹介しておきます。作者自身の意図としては、「過去との新しい対話」を目指したとのことです。

ドイツ国内では、ヒトラーの過去をどうしても二度と振り返りたくない記憶として取り扱うことが多いようです。しかし、そうやってヒトラーの政治から目をそらしていては、たとえばヒトラーの人を惹きつける力があった、というような重大な事実を見逃してしまいがちになります。だから、「ユーモア」「風刺」を用いて先入観なしにヒトラーを記述することで、読者の目ををヒトラーその人に向かせよう、という意図があったように見受けられます。そして、それこそが過去との新しい対話という言葉に現れています。

翻って日本はどうでしょうか。日本もドイツと同じように、戦争の記憶が刻み込まれた国のひとつです。日本の場合は、過去の戦争を「感動モノ」として描くことが多いように思います。たとえば『火垂るの墓』『永遠の0』などはその代表例でしょう。しかしこの態度は、戦争の現実と向き合っていると言えるでしょうか。私は疑問に思います。現実から目をそむけているだけではないかと。

本書の「ヒトラー自身の人となりを描く」という「過去との新しい対話」は成功しているように思います。結局ドイツの場合は、ヒトラーその人自身が圧倒的に大きな発生源だったからです。だから、ヒトラーその人に着目した作品がこうして出てきたことで、人々はヒトラーという人間と向き合うことになり、結果としてそういう人を警戒するようになるかもしれないです。

日本にも、そうした「感動モノ」をやらない、過去との新しい対話を目指す戦時小説が出てくるといいなと思いました。正直ちょっと、戦争モノが感動ばかりを扱うのに疲れてしまったんですよね。戦時中のリアルな人間関係とか、結局何人亡くなったとか、そういうのを総合的に描いてくれている作品があったらぜひ見てみたい(漠然)。今のところ、半藤一利『昭和史』を上回る、戦争についてまともに書いた本を読んだことがない気がします。まして、小説に至っては…

ただ一方で、「風刺」を使うことの是非は問うべきかとも思いました。風刺だからタブーに踏み込みやすい、というのはあるかもしれませんが、風刺は本当にタブーと向き合う手段として妥当なのか?風刺だからなんでもいいのか?については疑問です。この点については今後考えてみよう。

本書を読んでいてよくわからなかったこと

  • 最後の方で、ヒトラーがネオナチの人間にリンチされるシーンがあるのですが、なぜネオナチの人たちはヒトラーをリンチしたのでしょうか?本来は仲間のはずでは…?

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

*1:今はじめて予告編を見たのですが、原作で示唆されていなかったストーリーまで描かれているようですね。これは見てみたい!

トンチンカンな質問をされるのは、自分自身に原因があるのかも?―木村亮示・木山聡『BCGの特訓』

今年に入ってから買って、3回くらい読み返した本です。本日3回目読み返しましたが、そういえば書評をまともに書いたことがないと思い書きます。

最近悩んでいることがあります。ひとつは自分自身の成長について。そしてもうひとつは、新人の育成です。あ、新人のみならず配属された技術派遣の人の教育も含みます。今日は、新人の育成の上で困った「トンチンカンな質問問題」を、ご紹介する本を参考に少し考えてみます*1

質問の質が低すぎる!

新人(技術派遣)の育成についての悩みは、「質問の質が低すぎる」ということです。具体的には、「具体的な質問をしてこない」という悩みです。とくに40歳をゆうにこえた派遣の人でさえ、質問の質がとても低く、正直辟易する毎日でした。

「具体的な質問をしてこない」というのはどういうことかというと、2つあります。「仮説をまったく挟まない質問」です。要するに「どうすればいいですか?」みたいな質問をしてくるケースです。もうひとつは、「事実だけを説明して私に何を聞きたいのかよくわからない質問」です。「プログラムがこうこうこうなっています」という質問(雑談?)に来て、私としては「で?」となってしまうのです。正直とても困っていて、直してほしいんですが、40こえたおじさんに「質問のしかたを直してください」と伝えるのは、本人のプライドも傷つけちゃうしよくないことだな〜と思っていたんですね。

どちらにも共通していることは、「答えを他者に求めている」ということです。責任を負いたくないのか、はたまたただ思考停止しているのかどちらかはわかりませんが、いずれにせよ自分で答えを出す気がないのだな…と感じてしまいます。そして、こういう人はそもそもマインドセットから甘いので、マインドセットから直していかないといけないんですね。

じゃあマインドセットを40歳こえたおじさんに教えますか?というと大変失礼な気もしてしまうわけです。そこでいい方法はないかなと思ったとき、「私がちゃんと聞き返す」ということが必要なんだなと本書を読んで思いました。結構できていないかも。答えを与えちゃってるかも。私が頭をウンウン悩ませて、結論を出して伝えてその通りに作業をしてもらう、みたいな流れになってしまっているかも。そう思いました。

具体的にではどのように聞き返していくか?どうすればお互いにとっていい質問タイムとなるか?それは、私自身と相手の理解度を確かめ合うということを目標とし、「よりよい聞き返し」を繰り返すことなのではないでしょうか。たとえば、「今どこまでわかっていて、どこでバグが発生していると思いますか?」「そのオペレーションをすると、このメソッドや変数に何が入っていて、その結果として何が返ってきていますか?」「投げられている例外はどういうもので、どういう想定が考えられますか?」などと聞き返していくことです。

この方法のいいところは、質問した側の気づきを促すところです。多くの普通の人は、わからない事象が湧いてきて、頭で考えてもわからなくて、わけがわからなくなってきてその状態でリーダーに質問に来ます。そしてその「わからないこと」を整理してあげるのは、リーダーのひとつの仕事なのではないでしょうか。その質問の繰り返しによってメンバーは気づきを得て帰っていってくれたら、もしかして自分で解決してくれるかもしれません。

ただ一方で、これには質問される側に高度な「問いを立てる技術」が求められます。なぜなら、適切に問いを立ててメンバーに投げかけるようにしなければ、思考の整理のために来たはずなのに、余計に混乱して帰ることになるからです。正直、問いをわざわざ立てるのはとても面倒くさいです。問いを立てる行為はとてもめんどくさい行為なので、多くのマネージャはそれをせずに怒って突き返すか、冷たく返すか、あるいは一緒に答えを出してしまいます。

しかし、それではメンバーは成長しないです。そして、また同様のトンチンカンな質問をする→こちらのイライラがたまる…の連鎖が起きてしまいます。その連鎖を解決するために、あえて答えを渡さないで質問を繰り返すことは重要なのではないでしょうか。本人に考えさせ、どういう問いを立てるとマネージャーがいい答えを返してくれるかを禅問答方式で伝えるのが一番いい方法かと思います。

そしてなにより、40歳をこえたおじさんにマインドセットを教え直さなくていいのが楽でいいですね。

仕事の任せ方が悪い?

一方で私自身の仕事の任せ方が悪い説もあります。本書を読んでだいぶ反省したのですが、仕事の任せ方にはいくつか方法があるようです。

まず前提として、個々人のスキルレベルは当然把握する必要があります。ただ、私の仕事は業務ロジックも計算ロジックも複雑怪奇で、外資系の金融機関でバリバリFEやってました、というレベルの人でない限り、新人も40歳を超えたおじさんも大差ない、みたいな仕事なので、スキルレベルはほぼ一概にあまり高くないと想定するのが無難だなと思っていました。

ただ、個人の思考力を測る方法はあって、それが先程あげた「質問の仕方を観察すること」と、「聞き返しの結果、どのような答えが返ってくるかを観察すること」かなあと思っています。両方とも、その人の思考回路をたどることができるので、仕事を任せる際にはその人が迷わないようにどう任せたらよいかを判断できます。

仕事の任せ方としては、たとえば、「こういうふうに考えられるけど、それが正しいか調査してもらえますか?」という仕事の任せ方と、「この手順で作業をしてくだしさい。いじるクラスはここで」みたいな任せ方を使い分けるとよりよいです。また、よほどできる人には、「じゃあ、このチケットお願い」程度で十分です。

明日から使い分けをしてみよう、と思いました。

質問の仕方が悪いのも、原因は自分にあるのを忘れないようにしよう

勢いで書いてここまで来てしまいましたが、最後に重要なことをひとつ書き留めておきます。それは、周りの質問の仕方が悪いのは自分自身に原因があるかもしれないということです。原因自分論です。

とくに、自分自身の仕事の任せ方が悪いのかもしれない、ということは改めて確認すべきことだなと思います。丸投げ可能なぐらいにその現場での経験があるような人に丸投げは可能ですが、まだ配属されたばかりの人に丸投げをしても頭の中には「???」しか浮かびません。

一方で、容易に答えを与えるようなことはしてはいけないです。あくまで、問答を繰り返して相手に自分で考える習慣をつけさせるしかないです。最初のうちは時間もかかるし、自分が答えを与えれば5分で済む話が1時間かかることだってあるかもしれません。が、そこはむしろその時間も込でスケジュールを先読みして、タスクを長めに任せるマネジメント側の努力が必要です。

明日からの仕事の任せ方と質問への接し方を少し変えてみようかなと思ったいい機会でした。もっとも、「仮説を立ててから質問する」「考えるとはどういうことか?」くらいの話は大学やあるいは研修などで教えておいて欲しい、基本的なことなんですけど。

BCGの特訓 ―成長し続ける人材を生む徒弟制

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*1:私はまだ社会人2年目で、まだまだひよっこなのです。しかし、それなりにメンバーを抱えるプロジェクトを任されていて、年齢層も幅広いみたいな状態です。